貸家を探す話
高田保

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 私はいま伊豆の温泉宿にゐて、のんびりした恰好で海を眺めてゐる。だが人間を恰好だけで判断するわけにはいかない。この私も実はのんびりどころか、屈托だらけなのである。海を眺めてゐるのは恰好だけで、私の眼は貸家札を探してゐるのである。
 今朝の都新聞を見ると、『読者と記者』といふ欄に、「この一月以来私は貸家探しをしてやつと見つかり五ヶ月ぶりにホッとした者だが」といふ書出しで、ある読者が苦情を並べてゐる。記者の方も同情して「大問題です」と答へてゐる。私もまたこゝのところずうつと貸家探しをしてゐる者だ。私の方はまだ見つからんのでホッとするまでにならない。そこで私は仕方なくこの温泉宿へやつて来たといふ次第だ。海を眺めながらも貸家札がといつたのは、つまり私の心境を表現したのである。
 新聞を手にすると先づ、何よりもあの一番後の頁、あそこを見ることにしてゐる。バルカン諸王国の運命も気にかゝらんことはないが、それよりも『貸家』といふ案内広告である。しかし近頃は『貸家』よりは『売家』の方が多い。『貸家』が二件なら『売家』の方は二十件である。だからその結果として『求貸家』といふのがすばらしく並んでゐる。当然の比例で『求売家』といふのは見当らない。世の中の方則といふものは整然と行はれてゐる。泰平なものだなと思ふ。
 泰平ではあるが私には、なぜこの売家と貸家とが『家屋』といふ一つの欄に収められてゐるのかが判らない。借りなければならない人間に買へる筈はない。同じ家屋ではあるがこの二色は極楽と地獄みたいな相違である。新聞社にしてこんなことに気づかないとは可笑しすぎる。
 それはそれとして手頃な広告を見つける。だがこれが見つかつたとて、すぐさま、手頃な貸家が見つかつたことにはならない。厭でもそこまで足を運ばなければならない。判りにくいところを、円タクでぐる/\廻る。メーターの方は黙つてカチリ/\と出るだけだが、運転手の方は黙つてゐない。いゝ加減にしてこの辺で下りてくれといふ。家主への手前、折角自動車で乗りつけた豪勢なところを見せたいと考へたのも、それですつかりふいになつてしまふ。それで、どうだね君、用事はすぐ済んでまた銀座の方へ帰るんだが、ちよつと待つてゐて稼ぐ気はないかね? 君だつて空車で帰るよりはいゝだらう。勿論メーターは立て直していゝよ。などと御機嫌をとつてみるのだが、なか/\その手には乗つてくれない。御冗談でせう、近頃の円タクで空車流しをやるやうなそんなトンチキは近頃の貸家よりも目つからねえやうなもんですぜ、などと喰はされる。
 さて、さういふ思ひをしながら、やつと駆けつけた先方の家主だが、これがひどく冷たい。私のとこには空家なんぞ無い筈だといふ顔をする。あゝあれですかいと来る。あれはもうとつくに決つちまひましたよ、といふのである。とつくにといつたつて広告は今朝の新聞ぢやないか。一体いつ決つたんですかと尋くと、午前中ですよ。午前中の何時頃ですかと、物の勢ひでこつちも尋いたつて仕方のないことを尋く。すると、さう午前七時か、七時半か、なにしろ御出勤前だといつて居られましたからなといふ返事である。午前七時、出勤前、なるほどこれでは敵ひやうがない。
 私は勤め人ではない。だから就床とか起床とかについてだけは自由主義者だ。春眠暁をおぼえず、別にその季節に限つたこともないが、毎朝の新聞といつても、それを手にするのは大概正午の時報前後だ。それからゆつくり顔を洗ふ、落ちついて朝飯を認める。しづかに珈琲を啜る。かうして私のその日がはじまる。だから広告を見て駆け付けたといつても、午後の三時は過ぎてしまつてゐる、七時と三時では四時間の違ひのやうだが、午前と午後だから八時間だ。一日八時間の労働とすれば、正に一日だけ遅れてゐるやうなものだ。さすがの私もつくづく引け目を感じる。折柄街ではもう夕刊を売つてゐる。『アルバニア王蒙塵す』と大きく書いたビラが、アルバニア人のやうな顔をした老人の夕刊売りの前でひら/\してゐる。だが私にはもう、バルカンの運命などどうだつていゝ。そんな事をでかでかと報道するよりも、あの『案内広告』といふやつを夕刊の紙面へ移してくれた方がどんなにありがたいかしれやしない。夕刊だつたら出勤前の駆付けでは遅いことになる。どうしたつて退勤後といふことになる。それだつたらこの私にだつて競争ができるだらう。
 
 いまのやうな時世に、きちんとした勤め口を持つてゐないといふ事が第一にいけないらしい。やつと一軒まだ決つてゐない貸家があつた。やれ嬉しやと、早速間取その他の拝見を願ふと、お待ちなさいと来た。裏木戸を開ける鍵でも取りに行くのかと思ふと、さうではなくて、お勤めは何処ですかといふ質問なのであつた。相手は五十を過ぎてもう還暦にも近い婆さんである。眼鏡をかけてゐた。眼鏡の支へのところで太い横皺が三本くつきりとしてゐた。原稿を書いたり芝居の稽古をつけたりしてゐるので、勤めといつては別にないのですが、と正直に答へると、忽ちその横皺へ縦筋が入つて、私どもの家作はすべて拓務省大蔵省あるひは三井三菱といふやうなところへお勤めの方ばかり入つてゐられるのでして、といふ言ひ方だつた。
 売り言葉といふものがある。こんなのをいふのだらう。よろしい、売家は買へなくとも売り言葉なら買へる。ではその拓務大蔵三井三菱へ勤めてゐる人間に保証さしたら貸しますか、と私はその横皺と縦筋とこんがらかつた鼻の上の格子縞のやうなものを目がけて切り込んだ。だがなか/\そんなことで動じるやうな婆さんぢやなくほゝゝゝゝといきなり甲高い声をあげて、ぢろり眼鏡の中からこつちを見据ゑながら、さういふ方達とお附合ひがおありになりまして? 保証といふのは判を押すことでございますよ。さあさういはれて見ると、私はふだんの心掛けを誤つてゐたのである。三、四の顔見知りがないではないが、店受け保証をさせるほどの懇意はない。ううと口詰まつてゐるうちに、婆さんの方でぴしやりと、格子を閉めてしまつた。この格子は玄関の本物の方の格子である。その格子の間から、婆さんの鼻の上の格子縞が、海草のやうに揺れて見えてゐた。向こうからはこつちが、判この押してない紙屑みたいに見えたかもしれない。
 拓務省といへば、私の郷里から出た代議士が大臣になつたことのある役所である。その折に同郷の誼みといふキツカケで鯛の一尾も贈つて置けば、下役の一人位とは知合ひになつてゐたかも知れない。チャンスといふものは後頭部に毛が無いといふが、その折に掴んで置けばこんな辱かしめを受けずとも済んでゐたのである。大蔵省といへばつい先日、事変公債売出し宣伝のための浪花節募集で選者を頼まれたところだ。その折の選者委員の長が理財局長といふのだつたが、世事に疎い私は、その局長がその後すぐさまに次官になるほどの人物とは知らなかつた。次官になつたからといふので慌てゝ駆付けたのでは料簡が卑劣すぎやう。先見の明を欠いてこれは手後れである。三井銀行にはむかし私の家内へ恋文をつけたりしたのがゐるが、これはこつちから交際を求めたら気味わるがつて逃げるかもしれない。三菱にだつて学校の同窓でいまは相当な地位にゐる奴があるが、これは学生時代、どうしてあんな奴が文科などを志望してやつて来たのだらうかと、不思議がつた末に軽蔑しつゞけた相手だから、今となつて急に尊敬するのも義理が欠ける。一歩誤つたが最後踏み直しの出来ぬのが世渡りの道だといふが、誤つてしまふと家を借りることだつて出来やしないのか。
 保証といふことは判を押すことですよ、とはしかし婆さんも確かなことを教へてくれたものである。保証はしてくれてもなか/\判は押して貰へるものではない。私も世渡りの道を誤つたが、よしんば誤らずにあの拓務大蔵三井三菱と交際を持つてゐたとしても、しかし彼等は容易に判を押して呉れたであらうか。人生を甘く考へることは禁物である。連れ添ふ女房ですらいざといふ場合にはこちらを信用しやしない。人生を甘く考へなかつた廉によつて今日拓務大蔵三井三菱に勤め口を持つてゐるところの彼等ではないか。人生を甘く考へて原稿書きになつた私などとは人種が違ふ。人種の相違は今日大きな問題である。
 こゝで私は同じ人種である一人の友人をおもひ出した。彼はある日、私を訪ねて来て、いきなりかういひ出した。君、僕の判は要らんかね? 僕は今日区役所へ行つて実印届といふのをして来たんだよ、見給へ、こいつだ。見かけは詰らんたゞの木彫の印形だが、届けが済んでこれが役所の台帳にぺたんと押されると、もうたゞの印形ぢやない。ちやんと一つの人格を持つてくるんだ。こいつが口を利く。こいつが物をいふ。どうだね君、愉快ぢやないか、面白いぢやないか。よかつたら君、何にでも押してやるぜ。つまりこの友人は、その小さな印形が一つの魔力を持ちはじめた、といふ事で嬉しくて堪らんのであつた。でその嬉しさのお裾分を私にもして進ぜようといふのであつた。当時生憎と私には押して貰ふ何物も無かつたので、あり合せた新聞紙の欄外に押して貰つただけであつたが、もう一人の別な友人は、それほどに君がいふならといつて、連れ立つて高利貸のところへ行つた。いふまでもなくその魔力を持つた印形が口を利いてお金を借りたのである。

 文芸家協会といふものがある。そこで協会員に金を貸すと決めたことがある。ではといふので協会員が申し込んだ。なぜ借りるのかと事務所の役員が尋ねた。貸すといふから借りるんぢやないかと協会員達は答へた。
 だがこれもずつとの昔のことである。いまの文芸家諸君は、論理よりも常識の方に親んでゐるから、あんな馬鹿げた問答もせず、あんな非常識な借り方もしようとはしないに違ひない。その頃にしても、仮りにも金銭の貸借だからといふので保証人を必要とした。が文芸家にとつては保証なぞは何でもない。判さへ押せばそれで済むことぢやないか。で誰でもが誰でもの保証をした。その結果は、甲が乙のために保証をすると同時に、乙が甲のために保証人となつて、極めて和やかに円満に事が運んだものなのである。お互ひに保証し合ふ。なんと見事な親和ではないか。一方が一方を保証しただけでは完全といはれまい。お互ひが信じ合ふといふところにすばらしい人生がある、すばらしい社会の調和がある。どうだ君、この金で一杯祝盃を挙げようぢやないかと、双方ともに重たくなつたポケットを叩いたものなのであつた。だがもうそんな時代は十八世紀よりももつともつと遠い処へまで行つてしまつてゐる。文芸家協会は依然として存在するのであるが、文芸の代が変つてしまつた。代が変ると家主の性質なども一変するものである。メンデルの法則などといふが、遺伝といふものは肉体の上にだけ現はれるものであらう。文芸や家賃の取立てなどといふものは精神上の仕事である。
 家主といへば親みたいもので、と講釈師や落語家は喋り出す。彼等の時勢遅れがこのやうなところにも暴露されてゐる、といつてしまへばそれまでのことだが、古風な家主さんといふのも、稀にはゐないことではない。私の友人で新国劇の文芸部にゐるのが、この借家難の折柄に一軒恰好なのを見つけ出した。芝居へ勤めてゐるなぞは勤め人の部類に入ることではないのに、これは奇蹟みたいな話である。次第を聞くと、新国劇だといつたらすぐ、それはお堅いところでと、うなづいてくれて、沢田正二郎といふ人は立派な方でしたといつたのださうである。沢田正二郎が死んで今年は十年になる。それなのにこの沢田の人格に信頼して即座に貸してくれたなどとはまことに美談ではないか。で聊か恐縮しながら、保証人はといふと、新国劇が保シヨウしてゐればそれでもう充分ですとの
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