返事だつたのださうである。保シヨウ。諸君はこのシヨウの字をどう判断する? 新国劇は彼の生活を保障してゐる。生活の保障があるかぎり保証なんぞは要らないぢやないか。あゝ保障は保証であるのだ。さう考へて来ると私はまたあの拓務大蔵といふのを思ひ出す、官吏には身分保障令といふのがある。官吏の方に限り金融などといふのがあるが、法律といふ格子が彼等を保証してゐるのだ。格子づくりの囲ひ者といふが、格子の向うに居る人間ならば安心と考へるのは人情であらう。格子の外にゐる奴等はいつ逃げ出さんとも限らない。あの婆さんが、格子の中から私を見て、横皺縦皺を海草のごとく揺がしたのも謂れなきことではないかもしれない。よしんば私に格子の縁があるにしても、それは原稿紙の角格子である。紙の格子では誰も信用してくれる筈がない。
とはいへ世は様々なものである。私が以前に借りてゐた大森の家の家主さんなぞは、古風、大古風の部に属してゐたのだらう。率直に私が原稿書きである旨を述べると、では入るときには入るが入らんときには入らん御商売ですなといつた。その通りですと答へると、しかし入るときには入るのだから安心なものですなといつて承知してくれた。人間が人間を信ずるのは、いつの場合でもかくのごとく鷹揚でありたいものである。
さて、こゝで私は頌徳の意をもつてこの大古風鷹揚の家主さんについて一寸語りたく思ふ。語りたく思ふのは一寸であるが、しかしこれは一つの長い物語でもある。いや単なる物語ではない。それは、優しい人情といふものがいかに他人を溺歿させ、細やかな心遺ひといふものがいかに他人の処世を謬らせ、鷹揚の徳といふものも遂に店賃を滞らせることに役立つのみで却つて損となり、つまりはすなはち古風は結局が古風であつて今様当世のものではあり得ないといふ教訓を含むところの道話ですらあるのである。
事実が語る。事実は何よりも雄弁なものだ。だから私は立派な道話であり見事な小説でさへあるといつたところで、何もこれを道話的にもしくは小説的に話す必要はあるまい。偉大なる傑作といふものは、その簡単な梗概だけでさへも充分に人を感動せしめるものだ。いや何も傑作とは限らない。その辺の大衆小説などは却つてその梗概だけの方が面白かつたりするものだ。だから競つて映画会社が原作料を払つて脚色する。脚色とは、脚がかりだけを拾つて、それを色づけることだ。原作の俤をつたへるとかつたへぬとかいふが、脚がかりなどといふものはどの作品も大概が千篇一律のものである。だから脚色映画のどれもが千篇一律の体を見せたとしてもそれは映画の責任ではない。だが私がいま話し出すことだけは到底常凡の脚がかりではない筈だ。平凡な三面記事の間に交つて、時折信じられないニュースが現はれるやうに、そしてそれがニュースといふべきものだが、とにかく、ざつとのあらましを伝へただけで諸君は早くも仰天するに違ひなからうと思ふ。
門があつた。私は中へ入つた。庭があつた。私はその庭を眺めた。一目で私は気に入つてしまつた。なぜならそれは他人に見せるために作られたのではなく、その家の主人が楽しむためだけに作られたものであることが判つたからだ。この流儀の造園術といふものは今日ひどく廃れてしまつてゐる。どこへ行つても庭は装飾の中に粉れこんでしまつてゐる。結城織といふやうな反物でさへが今日では見てくれのために着られて来てゐるやうに、茶室といふものさへ風雅のためよりも交際のために用ゐられてゐる。岡倉天心は『茶の本』を書いたが、いまの世の人々にとつては、それを読むことが良識を語り合ふための便宜であるからにすぎない。あゝ良識といふものさへが人間の装飾物となつてしまつたのだ。私は感慨居士だから、忽ちにして雑然といろ/\なことを思ひ浮べる。私は家の中へ入つた。木口がよろしい。古いがしかし木口がよろしい。古いからよろしいのかも知れぬ。新しい建築だつたらどこかにアメリカニズムの影響があらう。米国材といふやつはどう日本的に工作して見てもどこかで区別がつく。私の知つてゐるアメリカ人は、毎朝味噌汁を喜んでゐたが、しかしいつもその中へ一塊のバタを叩き込んでゐた。そしていつの場合でもおのれが女房に憚つてばかりゐた。その女房といふのは生枠の日本の女であつたのであるが。
便所は水洗式になつてゐる。あゝこのアメリカニズムだけはよろしい。しかし私は気に入つてしまつたのはそんなことではない。全体が二棟になつてゐて、しかも母家が平家で離家の方が二階であつたことだ。私は勤め人ではないから自然と家庭主義者ではない。勤め口を待つてゐれば余儀なく家庭を外にして出かけねばならぬ。余儀なくさせられたとき反撥の感情が起る。自然と勤め人諸君は家庭を恋ふる心理へと落されるではないか。しかし私にはその余儀なさがない。その結果私の義務として私は余儀ないことの無い限り家庭に止まつてゐなければ不可ぬことになる。これもまた一つの余儀なさである。そこで順序として反撥の感情が起る。用事もないのに外を出歩きたい気持になることは止むを得んではないか。私が今日この温泉へ来てぼんやりしてゐるのも、早く引越しをして気を変へたいにも拘らず、どうあつても貸家が見つからん余儀なさからの事である。決して贅沢などといふものではない。その証拠にはかうしてこゝにゐながらも貸家のことで屈托してゐるではないか。二十年も昔のことだが、学校の教室で私は、当時巴里から帰られたばかりの島崎藤村さんに会つたことがある。その教室の窓へその頃組織されたばかりの学生オーケストラの、極めて下手くそな音楽が流れて来た。が藤村さんは、話半ばにその音楽の方へ耳を傾けて、あゝあゝいふ音楽を聴きつけても私は巴里を思ひ出します。昨日も私は雑司谷の森を歩いてゐて、ふつとブウローニュの森を歩いてゐるやうな気になつてゐる自分を見出して驚きました。それなのに私は巴里にゐるとき、何かにつけ東京をばかり思い出してゐたものなのです。ブウローニュを歩きながら私は雑司谷を歩いてゐたことが何度もあります。巴里にゐては東京を、東京にゐては巴里を、これが人生といふものの姿ででもあるのでせうか? かういつてこの詩人は私達の前でうつとりとその眼を窓の外のぽつんと浮いた白雲の方へ流して見せた。あゝあの雲が巴里なのかと、私達もまたその方へ眼を向けた。だがこの事が二十年後にもなつて、貸家といふ主題の下に蘇つて来たのも微妙なことである。貸家を探しては温泉宿をおもひ、温泉宿へ来ては貸家のことを考へる。
さて、私は概ね家庭主義者ではない。だから離家の二階が気に入つたといふことについて、簡単に説明をしてしまはう。離家の方にゐればそれだけ私は家庭から遠ざかつてゐられる訳である。その上に二階と来た。そこへ陣どれば、平面的な距離ばかりではなく、立体的に上下の差別さへついて、私はこゝに安穏なる書斎を設けることが出来るぢやないか。私は家主さんに向つていつた。気に入りました。お借りしたいと思ひます。だが私はここで、しかし、と附け加へたのである。と家主さんの方でも、同時に、しかしといつた。
『しかし』といふのは端倪すべからざる言葉である。それは奥底を持つてゐる。政治家のやうな性格である。たとへば、平沼さんは立派な人格政治家だがしかし、とまた場合を考へみるがいゝ。問題はその『しかし』以下に潜むことになる。その『しかし』以下を引きめくることで折角の立派な人格政治家といふ履歴も減茶苦茶になつてしまふではないか、否定なのか肯定なのか、甚だ漠然として極めて曖昧な妖気だけがそこに漂ふのである。もしもこの『しかし』といふ言葉が存在しなかつたならば、この世の人生は極めて簡単なものとなつてゐたに相違ないと私は思ふ。犬の吠えるのを見るがいゝ。馬の嘶くのを聞くがいゝ。彼等は吠えたり嘶いたりするとき、まつたく純真にそれ一方であつて、決して、しかし、などとはいはないものだ。とすればこの『しかし』こそ人間性とでもいふべきであらうか。英国の劇作家に「もしも」といふ題で脚本を書いた男がある。だかこの『しかし』に比べれば『もしも』など浅薄低俗極まるものと云ふことができる、『しかし』こそ現実的であつて、『もしも』なぞはたわいなき浪漫派であるにすぎない。ところで私もしかしといひ、家主の方もしかしといつた。この二つの『しかし』はしかし果たして一つの『しかし』であつたらうか?
両者の間の最初の一致が、『しかし』から以下で不一致になり決裂する例を、わたしはしば/\ならず見てしつてゐる。ヒットラーもチェンバーレンも、平和を愛好するといふことでは一致したのだ。しかし、とそれから問題が紛乱したのである。私は声を呑んだ。そして先方のしかしから以下を聴かうとした。だが家主さんの方も同じく声を控へた。私の方は柄にもない警戒心からであつたが、家主さんの方は慇懃なる儀礼からであつたらう。私はその時のその人の人相に感動した。円満な顔つきの上に福徳の微笑をたゝへながら、私のいひ出すしかし以下の言葉を迎へようとしてゐたのだ。あゝこのことがすでに世の常の家主ではない。かういふ長者に対して、どうして家賃の高下などいひ出せようぞ。
しかし、と私はやつといつた。敷金は幾つですか? はい、三つといふことにしてはあるのですがな、と長者は答へた。この語法を篤と吟味して戴きたいと思ふ。してあるのですといふのと、してはあるのですが、といふのとでは天と地の相違ではないか。だが私は途端に、三つにも幾つにもまだ肝腎の家賃について尋ねてゐなかつたことに気がついたのであつた。しかしその一体、家賃はいかほどなのでせうか? すると長者はまたその語法に従つてかう答へた。はい、七十五円といふことにしてはあるのですが。
ニュース映画で私は、ミュンヘン協定調印の場といふのを観たことがある。どのやうな凄惨な劇映画もかつてあれほどの感動を私に与へたことはない。談判が成立してお互ひが握手した筈の場面でありながら、それは拳闘場のやうな空気であつた。なにやら不穏な不安な暗澹たるものがその広間中一杯に漲つて写つてゐた。どのやうな名優もかつてあれほどの真剣な表情で現はれて来たことはない。ヒットラーは豹のやうに眼を光らせて歩いてゐ、ムッソリーニは闘牛のやうに張り切つて一隅に突つ立つてゐ、そしてチェンバーレンは馬のやうにやゝ暗いところでその背を跼めてゐた。フランスの宰相などは叱られた事務員のやうにどこかへ姿を隠してしまつてゐた感じでもあつた。勿論私がこの映画を観たのはあの家主さんと会談した時よりもずつと後年のことである。だか私はそれを観ながら、しみじみと思ひ出してゐたのであつた。同じ会談でありながら、どうしてかうも夜と昼、もう一ついはして貰へれば天国と地獄、なのであらうか。思ふに多分あのミュンヘンでは、長者的語法などといふものが用ゐられなかつたのであらう。長者的語法は人を寛闊な精神の中に導き入れ、隔心のない声で語らせ、そして赤裸々に正直なところを打ち明けさせる。私は家主さんに自分の貧乏を話した。貯金が一銭もないことを語つた。だから出来れば家賃も負けて貰ひたく、敷金も数を減らして貰ひたいといふ意中を申し述べた。すると家主さんは依然として長者風に、御尤もですとうなづいてくれた。さうしてから、しかし、と己がしかしについて語りはじめたのである。
しかし、奥さんと御相談なさらずにお決めになつてもよろしいのですか? 何んのこつた。家主さんのしかしはそんなしかしであつたのか、私は笑つた。いや、私んとこでは私が主人ですよ、すると長者さんは、いかにも長者らしく顔をしかめて、それはいけませんよ、男といふものは外へ出て得手勝手ができるのだから、せめて家のこと位は奥さんの御勝手を認めておやりなさい。家庭は平和が大切ですぜ。
家主さんのこの御忠告は道理である。だがこゝにそんな事まで書くことは聊か余計な事ではないかとお思ひになる諸君がおありかもしれない。がそれはそれとして、次の一挿話を読んで戴きたい。
三つの敷金を二つにしてくれた。七十五円といふ家賃は、その建物として
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