敵ひやうがない。
 私は勤め人ではない。だから就床とか起床とかについてだけは自由主義者だ。春眠暁をおぼえず、別にその季節に限つたこともないが、毎朝の新聞といつても、それを手にするのは大概正午の時報前後だ。それからゆつくり顔を洗ふ、落ちついて朝飯を認める。しづかに珈琲を啜る。かうして私のその日がはじまる。だから広告を見て駆け付けたといつても、午後の三時は過ぎてしまつてゐる、七時と三時では四時間の違ひのやうだが、午前と午後だから八時間だ。一日八時間の労働とすれば、正に一日だけ遅れてゐるやうなものだ。さすがの私もつくづく引け目を感じる。折柄街ではもう夕刊を売つてゐる。『アルバニア王蒙塵す』と大きく書いたビラが、アルバニア人のやうな顔をした老人の夕刊売りの前でひら/\してゐる。だが私にはもう、バルカンの運命などどうだつていゝ。そんな事をでかでかと報道するよりも、あの『案内広告』といふやつを夕刊の紙面へ移してくれた方がどんなにありがたいかしれやしない。夕刊だつたら出勤前の駆付けでは遅いことになる。どうしたつて退勤後といふことになる。それだつたらこの私にだつて競争ができるだらう。
 
 いまのやう
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