義務として私は余儀ないことの無い限り家庭に止まつてゐなければ不可ぬことになる。これもまた一つの余儀なさである。そこで順序として反撥の感情が起る。用事もないのに外を出歩きたい気持になることは止むを得んではないか。私が今日この温泉へ来てぼんやりしてゐるのも、早く引越しをして気を変へたいにも拘らず、どうあつても貸家が見つからん余儀なさからの事である。決して贅沢などといふものではない。その証拠にはかうしてこゝにゐながらも貸家のことで屈托してゐるではないか。二十年も昔のことだが、学校の教室で私は、当時巴里から帰られたばかりの島崎藤村さんに会つたことがある。その教室の窓へその頃組織されたばかりの学生オーケストラの、極めて下手くそな音楽が流れて来た。が藤村さんは、話半ばにその音楽の方へ耳を傾けて、あゝあゝいふ音楽を聴きつけても私は巴里を思ひ出します。昨日も私は雑司谷の森を歩いてゐて、ふつとブウローニュの森を歩いてゐるやうな気になつてゐる自分を見出して驚きました。それなのに私は巴里にゐるとき、何かにつけ東京をばかり思い出してゐたものなのです。ブウローニュを歩きながら私は雑司谷を歩いてゐたことが何度もあ
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