民は、これでつくすべき仕事をしとげました。しかし、そのために、彼は疲労の極、再び、もとの重病人にかへりました。彼は今はたゞ一念、彼の間もなく迎へらるべき世界をのみ考へつゝ横はつてゐます。牧師どのよ、かうしてゐる彼の、その単一なる感情こそ、たとへ方なく、おごそかな貴いものです。
彼は、生前、いろ/\の誤解をもうけました。神さまも、かつては彼のためには怖れでした。しかし彼は、今は、何等の、ためらひもなく神のみもとに歩み上らうとしてゐます。おゝ、この栄光よ。彼は最早、神のめぐみの永久なることを信じてうたがはないのです。」
第二の手紙は、これで終つてゐます。ホームス牧師は、息をもつかずに、第三の手紙に移りました。それは、一九一七年八月八日といふ日附になつてゐます。
たび/\言つたとほり、これまでウ※[#小書き片仮名ヲ、396−上−15]ルターは、すべて自分といふものを秘めかくし、このはじめからのすべてを、彼自身にそつくりそのまゝの、或遊牧民上りのアラビア人の乞食の行動として、報告してゐるのでした。ところが今度の三ばん目のこの手紙では、急に当面の人物が「私」になつてゐるから争へません。
「牧師どのよ。私は、最早いよ/\よわりつくしてしまひました。しかし、みじんも、怖れや不安はありません。すべての人は、死そのものに直面するとだれでも、このやうな平穏を見出すのだらうと信じます。トルコ兵の塹壕《ざんがう》内を聾の唖となつてさまよつてゐた間も、ドイツの士官となつて火薬庫の戸外に立つたときも、私は今と同じく平静でした。しづかに死に対面するといふことは、すべての人に共通の心状とおもはれます。たゞ、だれも、その間際が来るまでは、それを実証し得ないまでのことです。
たゞ一つ、私の妻と小さな三人の子どもとが、私と一しよに移り行くことが出来たなら、私はどんなに、より幸福でせう。しかしそれが叶はないことを私は少しも恨みとはしません。私は、今、たえだえの息の下にこの手紙をかくのです。昨夜はかきながら昏倒しました。おそらく私のこの最後の間際に、あなたとかうしてお話をすることは、実に無上の愉快です。おゝ、わが故国をして、神のみめぐみによつて、永遠にすべての海上を支配せしめよ。私はこれ等の手紙が安全にあなたのお手に入る方策をとります。植物の標本ならば、するどく検査もしないでせう。
あけて今日は八
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