月九日です。妻の父は、私の三人の子供を、彼自身のうちへ、つれていきました。妻はこれから私を、馬の上にかゝへのせ、手綱をひいて、医師のところへはこばうとしてゐます。私は地びたに横はつて、これをかく。さやうなら、さやうなら、牧師どのよ。」と、大部分は、ふるへた字で、かすれ/″\にかきつゞけてあります。
六
牧師にとつてはこの手紙が事実上、とう/\彼の最後のわかれの言葉になりました。つぎに牧師がメソポタミヤから受取つたのは、或英人の病院の医者がよこしたもので、はッと思つたとほり、つまり、ウ※[#小書き片仮名ヲ、397−上−10]ルターの死去のしらせでした。
「二週間前に、丁度一人のアラビア人の婦人が、その夫だといふ英人の一患者を、当病院につれて来ました。病人は、はげしい赤痢にかゝつたあとで、極度に衰弱してゐました。どうしてか、最近左腕を切断された彼は、なほ、からだ中、いたるところに火傷をしてゐました。
アラビア婦人は、片ことの英語で、この夫が、一年ばかりの間、メソポタミヤに出征中の英国軍のために働いてゐたと語り、なほ、貴牧師からおくられた一通の書簡を見せました。しかし彼女は、その貴翰を、二人のための、この上なき貴重な記念としてゐる容子で、たゞ、ちよつと私どもに見せたきり、すぐに、しまひこんで、つひに二度とは見せませんでした。患者は、手あての甲斐もなく、八月二十六日に死亡しました。
あはれなるはアラビア婦人でした。彼女は、アラビア人としては容貌のよい、品位ある女で、夫には命をもかけて、尽してゐたらしく、今度も、七十マイル以上のところから、はる/″\つれて来たのです。夫の死を見た彼女の悲痛は、全く言葉につくすことが出来ません。彼女は、夫の埋葬された塚の上に、十八時間も伏して泣いてゐました。そこへ、たま/\彼女の父なる、回々教の一長老が出て来ました。この父が数時間かゝつて、やうやく彼女を引きおこしてつれていきました。去るにのぞみ、彼女は、われ/\の努力、それは、もとより、小さな当り前の任務であるにかゝはらず、それを、涙をもつて、ひどく感謝しつゞけました。」
この女そのものにも感激したホームス牧師は、すぐにこの医師にたのんで、その行くへをさぐつてもらひました。しかし、長老はその後、間もなく全財産を売りはらひ、ウ※[#小書き片仮名ヲ、397−下−19]ルターの
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