について、何をか探り出す機会を得ようと狙ひながら、或市場の人ごみの中に立つてゐました。
彼は、又もとの、唖と聾の乞食に化けてゐるのでした。
ふと見ると、目のまへの町角に、並はづれて高い商家の建物があります。ウ※[#小書き片仮名ヲ、392−下−8]ルターは、ふと、数年前までの彼の、狂人じみた病癖をおもひ出しました。前にもお話ししたやうに、彼はイギリスにゐた時分には、こんなたかい屋根を見ると、どうしてもがまん[#「がまん」に傍点]がしきれなくて、いきなり雨樋につたはつてかけ上り、窓のあいてゐる屋根裏の部屋へとびこんだものです。別に何も物を盗むためではありません。たゞわけもなく高いところへよぢ上り、一ばんたかい部屋へとびこんで見たいだけの慾気なのです。そのために彼は泥棒未遂罪としてつかまつて、九回も牢屋にたゝきこまれたものでした。
彼は今、目のまへの建物の、たかい雨樋を目で見計りました。そしてもう今は切り落されてない、左手のつけ[#「つけ」に傍点]根のあたりを、さびしく見入つてゐました。
すると、ふと、そのたかい屋根の上から、ミヤオ/\といふ、おびえたやうな小猫の声が聞えて来ました。おやと思つて、あとしざりをして屋根の上を見ますと、小さな一ぴきの小猫が、前後も考へないで冒険して、その高屋根の上までのぼつたものゝ、下りるには、足がゝりがないために、ミヤオミヤオと人のたすけをもとめてゐるらしいのです。
ウ※[#小書き片仮名ヲ、393−上−7]ルターは思はず雨樋の下までかけつけました。それから、ちよつと立ちどまつて、又、ない左手の肩先をふりかへりましたが、つぎの瞬間には、右手一本で雨樋につかまつたと見ると、まるでりす[#「りす」に傍点]かなぞのやうに、ものゝ四十秒もたゝないうちに、もう屋根のはしのところまでかけ上り、小猫をつかまへて上着のふところ[#「ふところ」に傍点]に入れました。そしてする/\ッと下りて来て、小猫を地びたにおいてやりました。
あたりの人はびつくりして、目を見はつて見てゐました。
その群集の中に、ふと二人のドイツ人がゐました。二人は、たゞの小猫一ぴきをたすけるために、こんなあぶないまね[#「まね」に傍点]をする乞食のばか[#「ばか」に傍点]さ加減を嘲るやうに、ウ※[#小書き片仮名ヲ、393−上−17]ルターの顔をふりかへりながら向うへ歩いていきま
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