、やさしい彼の妻の声でした。彼女は彼の耳に口をつけて、さゝやき、再び彼を、この村での、もとの唖にさせてしまひました。しばらくして彼女は彼を背中におぶつて歩き出しました。それから、途中でいくどとなく彼を下して休ませ休ませしながら、つひに、五六マイルはなれた、彼女の父親の家へはこびこみました。
 彼の気分がやつとたしかになつたとき、妻は彼の家が焼かれたいきさつ[#「いきさつ」に傍点]を話しました。数週間前の或午後、騎馬のトルコ兵の一隊が北の方から彼の村へやつて来て、危険だから、すぐに沙漠の中へ立ちのけとやさしく彼女たちに言ひわたし、着のみ着のまゝで追ひ立てたものださうです。彼女は沙漠の上に夜が下りかゝるのをまつて、子供たちをつれて家のやうすを見にかへると、家はいつの間にかすつかり焼きはらはれてゐたのだといひます。
 村の女たちの話では、トルコ兵は家々の中へはいりこんで、値のあるかぎりのものをすつかり掠奪し、小さな畠の作物や、コーヒーのとりいれをまで、こと/″\くうばひとつた後、家をやきはらつて行つたのださうでした。
 彼女は仕方なしに三人の子供を母親のところにあづけ、焼けのこつた或家に、一人で身を寄せて、あくる日からまいにち、昼も夜も、つゞけさまに彼女の家の焼けあとに坐つて彼がかへつて来るのを待つてゐたのでした。戦争前から、どこにゐるのか、たゞの一どもたよりをよこさない彼が、何といふわけもなく、きつと今にも、ひよつこりと帰つて来るやうな気がして、一日に一度、夕方に食事にかへる以外には、たえず、あの林の下で待ちくらしてゐたといふのです。
 ふしぎにも彼は全くそのとほり、かうして彼女の下に、彼の最愛な三人の子供の下に、かへつて来たのです。
 彼は今、百合の花のごとくに純情な彼の妻と、小猫のごとくに可愛らしい子供たちとにまもられて、無限の幸福の下に、少しづゝ健康をとりかへしてゐます。しかし、僅かな体力が再び彼にかへるにつれて彼は、又つぎの任務を――イギリスのために尽すべき最後の努力を考へ夢みてゐます。」
 第一の手紙はこれで終つてゐます。ホームス牧師はいつしか目に涙をにじませながら、つぎの一通をとり上げました。


    四

 ウ※[#小書き片仮名ヲ、392−下−2]ルターは再びよろ/\歩けるやうになると、すぐにアデンの町へ出かけました。そしてトルコ兵やドイツ人たちの隠謀
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