けと、東京方面の事情を上奏《じょうそう》する書面を入れた報告|筒《とう》を投下し、胸をとどろかせてまっていると、下から大きな旗がふりはじめられたので、かしこみよろこんで、帰還し 摂政宮殿下に言上《ごんじょう》しました。
皇族の方々のおんうち、東京でおやしきがお焼けになった方《かた》もおありになりましたが、でも幸《さいわい》にいずれもおけがもなくておすみになりましたが、鎌倉《かまくら》では山階宮妃《やましなのみやひ》佐紀子《さきこ》女王殿下が御《ご》圧死になり、閑院宮《かんいんのみや》寛子《ひろこ》女王殿下が小田原《おだわら》の御用邸の倒《とう》かい[#「かい」に傍点]で、東久邇宮《ひがしくにのみや》師正《もろまさ》王殿下がくげ[#「くげ」に傍点]沼で、それぞれ御惨死《ござんし》なされたのはまことにおんいたわしいかぎりです。
第一の飛行機が日光へ向った同じ午前に、一方では、波多野《はたの》中尉が一名の兵卒をつれて、同じく冒険的に生命をとして大阪に飛行し、はじめて東京地方の惨状の報告と、救護その他軍事上の重要命令を第四師団にわたし、九時間二十分で往復して来ました。それでもって大阪から日
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