そらく少くとも百二十万以上の人は、ようやくのことで、上にあげた、それぞれの広地《ひろち》や、郊外の野原なぞにたどりつき、飲むものも食べるものもなしに、一晩中、くらやみの地上におびえあつまっていたのです。そのごったがえしの群々《むれむれ》の中には、そこにもここにも、全身にやけどをした人や、重病者が、横だおしになってうなっている。保護者にはぐれた子どもたちが、おんおんないてうろうろしている。恐怖と悲嘆とに気が狂った女が、きいきい声《ごえ》をあげてかけ歩く。びっくりしたのと、無理に歩いて来たのとで、きゅうに産気《さんけ》づいて苦しんでいる妊婦もあり、だれよだれよと半狂乱で家族の人をさがしまわっているものがあるなどその混乱といたましさとは、じっさい想像にあまるくらいでした。多くの人は火の中をくぐって来てのど[#「のど」に傍点]がかわいて苦しくてたまらないので、きたないどぶの水をもかまわずぐいぐい飲んだと言います。上野ではしのばず池のあの泥くさりの水で粉《こな》ミルクをといて乳《ち》のみ児《ご》にのませた婦人さえありました。
火はとうとうよく二日《ふつか》一ぱいもえつづき、ところによっては三日にとび火で焼けはじめた部分もあります。官省、学校、病院、会社、銀行、大商店、寺院、劇場なぞ、焼失したすべてを数え上げれば大変です。中でも五〇万冊の本をすっかり焼いた帝国大学図書館以下、いろいろの官署や個人が二つとない貴重な文書《ぶんしょ》なぞをすっかり焼いたのは何と言っても残念です。大学図書館の本は、すっかり灰になるまで三日間ももえつづけていました。
以上の外《ほか》、火災をのがれた山の手や郊外の町の混雑もたいへんでした。家のくずれかたむいた人は地震のゆれかえしをおそれて、街上へ家財をもち出し、布《きれ》や板で小屋がけをして寝たり、どのうちへも大てい一ぱい避難者が来て火事場におとらずごたごたする中で、一日|二日《ふつか》の夜は、ばく[#「ばく」に傍点]弾をもった或暴徒がおそって来るとか、どこどこの囚人が何千人にげこんで来たというような、根もない流言によって、一部の人々は非常におびえさわぎました。むろん電灯もつかないので夜は家の中もまっくらです。いろいろ物《ぶっ》そう[#「そう」に傍点]なので、町々では青年団なぞがそれぞれ自警団を作り、うろんくさいものがいりこむのをふせいだり、火の番を
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