したりして警戒しました。
 郊外から見ると、二日の日なぞは一日中、大きなまっ赤な入道雲見たいなものが、市内の空に物すごく、おおいかぶさっていました。それは実は、まださかんにやけている火事の烟《けむり》のあつまりだったのです。

       四

 しかし、震災の突発について政府以下、すべての官民がさしあたり一ばんこまったのは、無線電信をはじめ、すべての通信機関がすっかり破《は》かい[#「かい」に傍点]されてしまったために、地方とのれんらくが全然とれなくなったことです。市民たちも、摂政宮《せっしょうのみや》殿下が御安全でいらせられるということは早く一日中に拝聞して、まず御安神《ごあんしん》申し上げましたが、日光《にっこう》の田母沢《たのもざわ》の御用邸に御滞在中の 両陛下の御安否が分りません。それで二日の午前に、まず第一に陸軍から、大橋|特務曹長《とくむそうちょう》操縦、林|少尉《しょうい》同乗で、天候の観測をするよゆうもなく、冒険的に日光へ飛行機をかり、御用邸の上をせんかい[#「せんかい」に傍点]しながら、「両陛下が御安泰にいらせられるなら旗をふって合図をされたい」としたためたかきつけと、東京方面の事情を上奏《じょうそう》する書面を入れた報告|筒《とう》を投下し、胸をとどろかせてまっていると、下から大きな旗がふりはじめられたので、かしこみよろこんで、帰還し 摂政宮殿下に言上《ごんじょう》しました。
 皇族の方々のおんうち、東京でおやしきがお焼けになった方《かた》もおありになりましたが、でも幸《さいわい》にいずれもおけがもなくておすみになりましたが、鎌倉《かまくら》では山階宮妃《やましなのみやひ》佐紀子《さきこ》女王殿下が御《ご》圧死になり、閑院宮《かんいんのみや》寛子《ひろこ》女王殿下が小田原《おだわら》の御用邸の倒《とう》かい[#「かい」に傍点]で、東久邇宮《ひがしくにのみや》師正《もろまさ》王殿下がくげ[#「くげ」に傍点]沼で、それぞれ御惨死《ござんし》なされたのはまことにおんいたわしいかぎりです。
 第一の飛行機が日光へ向った同じ午前に、一方では、波多野《はたの》中尉が一名の兵卒をつれて、同じく冒険的に生命をとして大阪に飛行し、はじめて東京地方の惨状の報告と、救護その他軍事上の重要命令を第四師団にわたし、九時間二十分で往復して来ました。それでもって大阪から日
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