した。それで、患者たち一同を、川向うの浜離宮《はまりきゅう》へうつす外《ほか》にはみちもなくなりました。川は、ちょうどひき潮ですさまじい濁流がごうごうとうずまき、たぎっています。勇敢な高橋事務員は、その中へ決然一人でとびこんで、ようやく、向うの岸にひなん[#「ひなん」に傍点]していた船にたどりつき、船頭《せんどう》たちに、患者をはこんでくれるようにと、こんこんとたのみましたが、船頭はいやがって、がんとしておうじてくれません。すると幸い、だれも人のいない船が一そう、上手《かみて》から流れて来たので、高橋さんはそれに乗りうつり、氏一人を見かねてとびこんで来た河田《かわだ》軍医と二人で、岸から岸へ綱をわたし、それをたよりに、わずか一そうの船で、すべての患者を、重病者はたんかへ乗せたまま、一人ものこらず、すっかりぶじに離宮の構内へはこび入れました。
 それら全部の救護は、ことごとく、少数の医員たちの外《ほか》、すべて二十年《はたち》以下の、年わかい看護婦五十名の、ちつじょただしい、ぎせい的の努力によって、しとげられたのです。
 そのとき浜離宮へは、すでに何万という市民がひなんしていました。火の子はだんだんにそこへふって来ます。そのうちに、人の気づかない、離宮の物置小屋《ものおきごや》にとび火がして、屋根へもえ上《あが》りました。向う岸から患者をはこんで来たばかりの看護婦たちのうち、田島かつ子さん以下はそれを見て、すかさずかけつけて、ひっしになって消しとめました。かつ子さんたちはそれから一と晩|中《じゅう》バケツで池の水をはこんでは屋根へかけかけして、一《ひと》いきも休まずはたらきつづけました。その小屋をけしとめなかったなら、火はたちまち離宮の建物にも移ったのです。そうなったら――そこはすでに、両面に火の手をひかえており、後《うしろ》は海なので――何万人というひなん者は、まったく被服しょう[#「しょう」に傍点]のざん[#「ざん」に傍点]死者と同じように、ことごとく焼け死ぬか海へおちてでき[#「でき」に傍点]死するかして、一人もたすからなかったはずです。
 このことは、前に言った高橋さんたちのはたらきとともに、まだ世間《せけん》につたえられていないのでとくに、人々の傾《けい》ちょう[#「ちょう」に傍点]をあおいでおきたいと思います。
 火災からひなんしたすべての人たちのうち、お
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