います」
「ああ、お藤さんとおっしゃるんですか」
「はい」と藤さんは微笑みながら、立って押入れを探す。
藤さんという名はこうして知ったのである。
「そしてあなたが何でお泣きになったんです?」
「いいえ、嘘ですの、そんなことは」
「燐寸《マッチ》を探していらっしゃるんですか。私が持っています」
「あら、冗談なのでございますわ。あれは章ちゃんが……」と勘違えをしている。ポケットから燐寸を出して洋灯を点《とも》すと、
「まあ、恐れ入ります」と藤さんは坐る。灯火《ともしび》に見れば、油絵のような艶《あでや》かな人である。顔を少し赤らめている。
「あし[#「あし」に傍点]が一番あん」と章坊が着物を引っ抱えて飛びだすと、入れ違いに小母さんがはいってきて、シャツの上から着物を着せかけてくれる。
「さ、これをあげましょう」と下締《したじめ》を解く。それを結んで小暗い風呂場から出てくると、藤さんが赤い裏の羽織を披《ひろ》げて後へ廻る。
「そんなものを私に着せるのですか」
「でもほかにはないんですもの」と肩へかける。
「それでも洋服とは楽でがんしょうがの」と、初やが焜炉《こんろ》を煽《あお》ぎながらい
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