さんが指へ傷をしたというのはもう直ったのですか」
「ええただナイフでちょっと切ったばかりなんですから」
二人はこのような話をしながら待っている。築地《ついじ》の根を馬の鈴が下りてゆく。馬を引く女が唄を歌う。
障子《しょうじ》を開けてみると、麓《ふもと》の蜜柑畑が更紗《サラサ》の模様のようである。白手拭を被った女たちがちらちらとその中を動く。蜜柑を積んだ馬が四五匹続いて出る。やはり女が引いている。向いの、縞《しま》のようになった山畠に烟《けむり》が一筋揚っている。焔《ほのお》がぽろぽろと光る。烟は斜に広がって、末は夕方の色と溶けてゆく。
女の人も自分のそばへ寄って等しく外を見る。山畠のあちらこちらを馬が下りる。馬は犬よりも小さい。首を出してみると、庭の松の木のはずれから、海が黒く湛《たた》えている。影のごとき漁船《りょうせん》が後先になって続々帰る。近い干潟《ひがた》の仄白い砂の上に、黒豆を零《こぼ》したようなのは、烏の群が下りているのであろうか。女の人の教える方を見れば、青松葉をしたたか背負った頬冠りの男が、とことこと畦道《あぜみち》を通る。間もなくこちらを背にして、道について斜
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