ているのか、それも知らない。何にも知らない。
 というとちょっと合点が行かぬかもしれぬけれど、それは自分がわざわざ心配してこんな風にしてしまったのである。千鳥の話が大切なからである。千鳥の話とは、唖《おし》のお長の手枕にはじまって、絵に描いた女が自分に近よって、狐が鼬《いたち》ほどになって、更紗の蒲団の花が淀んで、鮒《ふな》が沈んで針が埋《うず》まって、下駄の緒《お》が切れて女郎蜘蛛が下って、それから机の抽斗から片袖が出た、その二日の記憶である。自分は袖を膝の上に載せたまま、暗くなるまでじっと坐っていろいろな思いにくれた末、一番しまいにこう考えた。話はただこの二日で終らなければおもしろくない。跡へ尾を曳いてはもうつまらないと考えた。ある西の国の小島の宿りにて、名を藤さんという若い女に会った。女は水よりも淡き二日の語らいに、片袖を形見に残して知らぬ間にいなくなってしまった。去ってどうしたのか分らぬ。それでたくさんである。何事も二日に現れた以外に聞かぬ方がいい。もしやよけいなことを聞いたりして、千鳥の話の中の彼女に少しでも傷がついては惜しいわけである。こう思ったから自分はその夕方、小母さん
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