星の女
鈴木三重吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)姉妹《きやうだい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)或《ある》日|猟人《かりうど》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)すゐれん[#「すゐれん」に傍点]の
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)言ひ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
姉妹《きやうだい》三人の星の女が、毎晩、美しい下界を見るたびに、あすこへ下りて見たいと言ひ/\してゐました。
三人は或《ある》晩、森のまん中に、すゐれん[#「すゐれん」に傍点]の一ぱいさいてゐる、きれいな泉があるのを見つけました。三人ともその水の中へつかつて見たいと思ひましたが、そこまで下りていく手だてがありません。三人は夜どほしその泉を見つめて、ためいきをついてゐました。
そのあくる晩も、三人はまたその泉ばかり見下《みおろ》してゐました。泉は、ゆうべよりも、なほ一そううつくしく見えました。
「あゝ下りていきたい。一どでいゝからあの泉であびて来たい。」と、一ばん上の姉が言ひました。下の二人も同じやうに下りたいと言ひました。
すると、高い山のま上を歩くのが大好きな、月の夫人がそれを聞いて、
「そんなにいきたければ、蜘蛛《くも》の王さまにそう言つて、蜘蛛の糸をつたはつて下《おろ》しておもらひなさい。」と言ひました。
蜘蛛の王さまは、いつものやうに、網の中にすわつて、耳をすましてゐました。星の女たちは、その蜘蛛の王さまにたのみました。蜘蛛の王さまは、
「さあ/\、下りていらつしやい。私《わたし》の糸は空気のやうにかるいけれど、つよいことは鋼《はがね》と同じです。」と言ひました。
三人はその糸につかまつて、一人づゝ、する/\と泉のそばへ下りて来ました。
泉の面には、月の光が一面にさして、すゐれんの花のなつかしい香《にほひ》がみなぎつてゐます。三人はきらびやかな星の着物をぬいで、そつと水の中へはいりました。
すが/\しい、冷たい水でした。三人はしづかにすゐれんの花をかきわけていきました。三人のはだ[#「はだ」に傍点]には、水のしづくが真珠のやうにきら/\光りました。
と、その泉のぢきそばに、或《ある》若い猟人《かりうど》が寝てゐました。三人はそれとは気がつかないでにこ/\よろこんで水を浴びてゐました。うと/\寝てゐた猟人は、三人の天の女が、泉のすゐれんの花をゆるがせて、水の中を歩いてゐる夢を見て、ふと目をさましました。ひぢをたてゝ泉の面を見ますと、まつ青《さを》にさしてゐる月の光の中で、三人の美しい女が、たのしさうに水を浴びてゐます。
猟人はこつそりと、泉の岸をつたはつて、三人の着ものがぬいであるところへいきました。そして、その中の一ばんきれいな着ものを手に取つて見ました。それは、金と銀との糸でおつて、いろさま/″\の宝石を使つて縫ひかざりをした、立派な着もので、左の胸のところには、心臓の形をした大きな赤い紅宝石《ルービー》が光つてゐました。
猟人は、その着物をかゝへて、もとのところへかへつて、かくれてゐました。
三人の星の女はそんなことは夢にもしらないで、永い間水をあびて楽しんでゐました。そのうちに、だん/\と夜あけぢかくなりました。すると、蜘蛛の王さまが空の上から、
「もうおかへりなさい。お日さまがお出ましになると、お日さまのお馬が糸を足で踏み切ります。早く空へお上《あが》りなさい。」と言ひました。
星の女はそれを聞くと、いそいで岸へ上《あが》りました。二人の姉はすぐに着物を着て、目に見えぬ蜘蛛の糸の梯子《はしご》を上《のぼ》つて、大空へかへつていきました。
三人の中で一ばん美しい下の妹は、一しよにぬいでおいた着物がないのでびつくりしました。それがなければ空へかへることが出来ないので、一しようけんめいにあたりをさがしましたが、見つかりません。
そのうちに、お日さまがお出ましになりました。お日さまのお馬は、蜘蛛の糸を足でふみ切つてしまひました。
星の女はとはうにくれて、草の上にうつぶして泣いてゐました。さうすると森の鳥がおきて来て、
「あなたのうつくしいおめしものは、わかい猟人が取つていきました。その猟人は、あすこの木の下で、寝たふりをしてゐます。」
かう、さへづつて星の女にをしへました。星の女はそれを聞くと、すゐれんの花をつなぎ合せて花の着物をこしらへて、それでからだをつゝんで、猟人のところへいきました。そして、
「どうか私《わたし》の金と銀の着物をかへして下さい。そのかはりには、あなたのおのぞみになることは何でもしてあげます。」と、泣き/\たのみました。猟人は、
「私《わたし》は何にもほしくはない。あなたが私のお嫁になつてくれゝば何にもいらない。」と言ひました。
星の女は、着物をとり上げられては、もう下界をはなれる魔力もなくなつたので、しかたなしに猟人のお嫁になりました。
猟人は、星の女をだいじにかはいがりました。星の女の姿は、すゐれんの花のやうに美しく、その声は、どんな小鳥の声よりも、もつとやさしくひゞきました。
猟人は毎日猟に出て、食べものを取つて来ました。そして星の女に、その日のいろ/\の楽しいお話をしました。
しかし星の女は、そういふ中でも、大空のお家《うち》を忘れることが出来ませんでした。女は、月のでる晩には、一人ですゐれんの泉のそばに出て、大空を見ては泣きました。せめて二人の姉の星が、もう一ど下りて来てくれゝばいゝのにと思つて、待ちこがれてゐましたが、二人はだまつて青い目をまばたいてゐるきりで、毎晩蜘蛛の王さまが糸を下《おろ》しても、ちつとも下りて来ようとはしませんでした。
二
そのうちに、星の女には、つぎ/\に男の子が三人も生れました。星の女はその子たちが大きくなるのを、たゞ一つの楽しみにして暮しました。
そのつぎには、かはいらしい女の子が生れました。星の女には、その女の子がかはいくつて/\たまりませんでした。
或《ある》日|猟人《かりうど》の生れた遠い町からはる/″\使《つかひ》が来ました。猟人のお父さまが病気で死にかゝつてゐるといふ知らせです。猟人はびつくりして、
「私《わたし》はこれからすぐにいかなければならない。」と言ひました。星の女はそれを聞いて、
「でもその長い旅の途中で、わるい獣にお殺されになつたらどうなさいます。」と言つて泣きました。猟人は星の女をなだめて、
「そんな心配はけつしてない。私《わたし》の父さまには私より外には子が一人もないのだから、どうしても私がいつて、やすらかに目を閉ぢさせて上げなければかはいさうだ。おとむらひをすませたら、すぐにかへつて来る。どうぞ子どもたちと一しよにまつてゐておくれ。七日たつたらかならずかへつて来る。」と言ひました。すると一ばん上の男の子が、
「私《わたし》は父さまと一しよにいつて、お祖父《ぢい》さまを見て来たい。」と言ひました。猟人は、
「お前はみんなと一しよに家《うち》にゐて、どろ坊の番をしておくれ。」と言ひました。男の子は、
「それでは、この森の先まで一しよにいつて、そこからかへつて来るの。そして、母さまと一しよにお家《うち》の番をするの。」と言ひました。猟人は、その子をつれて森のはづれまで来ますと、
「もうこゝからおかへり。これは家《うち》のお部屋中の鍵《かぎ》だから、おまへにあづけておく。」と言つて、鍵のたばをわたしました。そして、
「よく言つておくが、どんなことがあつても、二階の小さいお部屋へはいつてはいけないよ。そのお部屋の鍵穴にこの金の鍵がはまるのだが、あすこだけは、けつして開けてはいけないよ。」と、いくども言つて聞かせました。男の子は分つた/\と、うなづきました。猟人は、
「では、なんにもこはいことはないから、おとなしく待つてお出《い》で。」と言つて、わかれました。
男の子はまた森をとほつて、お家《うち》へかへつて見ますと、お母さまが戸口に立つて、しく/\泣いてゐます。男の子は、「どうして泣いてゐるの? 私《わたし》がかへつたから、どろ坊が来てもこはくはないでせう?」と言ひました。するとお母さまは、
「どろぼうなんかはちつともこはくはない。」と言ひました。
「それでは何が悲しいの?」
「だつて父さまは、もうこゝへかへつては入らつしやらないんだもの。」
「うゝん、さうぢやない。父さまはぢきかへると仰《おつしや》つた。」
「それから私《わたし》も、もうお家《うち》へかへらなければならないのよ。かへつたら、もう二度と出ては来られない。」
お母さまはかう言つて、またさめ/″\と泣きました。男の子は、
「そんなら私《わたし》たち三人や、小さな赤ちやんをみんなおいていくの?」と聞きました。星の女は、さう言はれるとびつくりして、
「いや/\、私《わたし》はもうどんなことがあつてもかへりはしない。安心しておいで。あの赤ん坊やおまへたちをおいて、どうしてかへつていかれよう。」
かう言ひ/\涙をふきました。男の子はそれで安心して、みんなと一しよにあそびました。
するとその晩、男の子は、外の月のあかりの中で、だれかゞうつくしい小鳥のやうな声で、しきりと何か言つてゐるので目がさめました。
聞いてゐると、その鳥のやうな声は、
「蜘蛛《くも》のはしごが下りてゐる、早くかへつてお出《い》でなさい。」といふことを、かなしいふしでうたつてゐます。
そばで赤ん坊に添へ乳《ぢ》をしてゐたお母さまは、
「ねんねんよ/\。この子は私の紅宝石《ルービー》だものを、この子をおいてはかへれない。」といふ意味を謡《うた》でうたひながら、赤ん坊の寝顔を見つめてゐました。
すると、外からは、
「そんなら二人でおかへりなさい。紅宝石《ルービー》をだいて二人で。」と謡ひます。お母さまは、しばらく黙つてゐました。そのうちに、外の声は、また、
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「蜘蛛の梯子《はしご》が下りてゐる。
おまへが七年ゐないとて、
星の二人は泣いてゐる。」
[#ここで字下げ終わり]
と、また謡ひ出しました。赤ん坊はふと目をさまして泣き出しました。お母さまは、そつとそのお背中をたゝいて、
「ねん/\よ、ねん/\よ。かへれ/\と言つたつて、玉の飾りの着物がない。」と、悲しさうに謡ひました。
赤ん坊はまたすや/\と眠りました。
それからしばらく、何の声もしませんでしたが、やがてまた外の月のあかりの中から、
「鍵をおさがしなさい。お前の着物のかくしてある、小さなお部屋の金の鍵を。」と小さな美しい声で謡ひました。
男の子は、その謡を聞いてゐるうちに、一人でに、うと/\と眠つてしまひました。さうするとその子の夢の中へ、二人の美しい女の人が出て来て、
「いゝ子だから、二階のあのお部屋の戸をあけて下さい。さうすればおまへのお母さまはもう泣きはしないから。」と言ひました。男の子は朝、目がさめると、お母さまに向つて、
「私《わたし》は昨夜《ゆうべ》、だれかゞお母さまに早くおかへり/\と言つていくども謡つたのを聞いた。」と言ひました。お母さまは、
「おまへは夢でも見たのでせう。」と言ひました。そして、あとで一人でさめ/″\と泣きました。
男の子は、たしかに目をあいてゐて聞いたのですから、もしほんとうにお母さまがかへつてしまつたらどうしようと思ひ/\、いちんち昨夜の歌のことばかり考へてくらしました。
三
その夕方、男の子は、ゆうべ二人の女の人が、あの二階の部屋をあければお母さまはもう泣きはしないと言つたのを思ひだしました。そして、さうすればお母さまは、もう家《うち》へもかへりはしないだらうと思ひました。そのときお母さまは、下の二人の男の子と赤ん坊とに水あびをさせに、泉へいつてゐました。
男の子は、いそいで二階へ上つて、小さな金の鍵《かぎ》で、そこの部屋の戸をあけました。さうするとその部屋の中に
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