小犬
鈴木三重吉
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)小さな家《うち》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#小書き片仮名ン、377−上−6]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)あら/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
一
村のとほりにそうた、青い窓とびらのついた小さな家《うち》に、気どりやの、そのくせ、お金にかけては、をかしなほどこまかな、おばあさんが、女中と二人で、ひつそりとくらしてゐました。
二人は、家《うち》のまへの小さな庭へ、いろんな野菜ものなぞをつくつてゐました。
ところが或《ある》晩、だれかゞその畠《はたけ》へはいりこんで、玉ねぎを十ばかりぬすんでいきました。女中のローズが、あくる朝、そのほりかへしたあとを見て、びつくりして大声をたてました。
おばあさんは、何ごとかと、寝間着のまゝでとび出して来ました。
「ど、どろぼうです。ほら。」
「あら/\、まあ、だれだらう。ひどいぢやないか。まあ、こんなに、あらしまはして……。おやおや。……まあ、あきれた。一《ひ》ィ二《ふ》ゥ三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十もほつていつたよ。まあ。おまいもまた何をぼや/\してゐたの。ほら、こゝんとこをかうはいつて、かう来たんだよ。ね、ほら、ちやんと足あとがついてるよ。そして、この壁へ足をかけて、その花どこをまたいだんだよ。まあ、何てづう/\しいやつだらう。きつとまた来るよ。一どとつたら、なくなるまでは来るよ。ほんとにゆだんもすきもありァしない。まあ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、十だらう? 十もぬすんでいくんだから、あきれるぢやないか。ちよッ。おやそこんとこにも足あとがあるよ。」と、おばあさんは、おこつたりおびえたりして、ひつくりかへるやうにさわぎたてました。近じよの人たちがその声をきいて、どや/\出て来ました。
「おい、どろぼうがはいつたんだつて。」
「へえ、どこへ。」と、すぐに、そこからそこへと話がつたはつて、いろ/\の人が入りかはりやつて来ました。おばあさんは、その一人びとりの人へ、これ/\かうで、かうはいつて、かう来て、こゝへ足をかけてと、一ぺん/\くりかへして話をして、おこつたり、くやしがつたりしつゞけました。
となりのお百姓は、
「どろぼうをよせつけないやうにするには、犬をお飼ひになるにかぎります。」と言ひました。
「なるほど、犬がゐればね。」と、おばあさんは、くびをかしげました。
「大きな犬ぢや、食はすのにかゝりますから、かんがへもんですが、いつまでたつても大きくならない、そしてよくほえる、小さな犬がゐますよ。」
みんながかへつてしまつてから、おばあさんは、どうしたものかと、ながい間、ローズを相手にかんがへました。いゝにはいゝけれど、いくら小さな犬にしたつて食べものがいります。おばあさんは、一日に一どか二どづゝ、お皿《さら》や深皿へ、スープやパンや、いろんなあまりものなぞを一ぱいいれて、それをむざ/\食べさせなければならないとおもふと、それこそばか/\しく、もつたいない気がしてなりません。
「ね、ローズ、よさうかね。……でも一ばんにあれだけづゝとられては、たまつたものぢやァないね。ローズ、やつぱり飼つた方がいゝかね。」と、おばあさんは同じことばかりくりかへしました。
ローズは生きものがすきなので、それァどうしてもお飼ひになつた方がようございますと、しきりにすゝめました。とう/\、それでは、小さな犬を飼はうといふことにきまりました。
で、さつそく、どこかに犬をくれる人はないかとさがしましたが、どれもこれも、大きくなる犬の子ばかりで、小犬の種のが見つかりません。ちかくの村の食料品屋に、ちようどいゝ小犬をもつてゐるのを見つけましたが、これは、今日まで飼ひ料に二円ばかりかけて来たので、それをはらつてくれゝば上げると言ひます。おばあさんはそんな二円ものお金を出すのぢやァたまりません。同じ飼ふなら、お百姓が言つた、あのたちの犬がほしいんで、と、ごまかして、話をきりました。
すると、或日、とりつけのパン屋が、車の上に、きたない小さな小犬をのせて来ました。顔が狐《きつね》のやうで、わにみたいなどうたい[#「どうたい」に傍点]をした、まつ黄色な、きたならしい犬で、そつくりかへつた、へんに大きなしつぽ[#「しつぽ」に傍点]をしよつてゐます。聞くと、或おとくいの人から、だれにでも飼つてくれる人に上げてくれとたのまれたのだと言ひます。おばあさんは、たゞだときいて、すつかりよろこんで、
「まあ、何てかはいゝ犬でせう。」と、目をほそめてにこ/\しました。
「パン屋さん、この犬は何といふ名まへなの。」と、人のいゝ、半ばかの女中は、そのきたならしい小犬をだいじにだき上げながら聞きました。
「名前はピエロです。」
おばあさんはそのピエロをもらつて、古い、シヤボンの空きばこの中へ入れました。まづ第一ばんに、水をくれてみますと、ピチヤ/\となめて飲みました。それから、小さなパンのきれを一つやりますと、すぐにもぐ/\食べてしまひました。
「いまにこの家《うち》へなじんだら、はなし飼ひにしてやればいゝよ。さうすれば、食べものは方々でさがして食べるだらうからね。」と、おばあさんは言ひました。
間もなくピエロは綱をとかれました。
ところが、この犬は、どんな見しらない人が来ても、ちつともほえつかないばかりか、かへつて尾をふつて、からだをすりつけにいくのです。ですから、だれだつて、畠へでもどこへでもはいれるわけでした。ほえるのは、たゞローズのところへ来て食べものをねだるときだけで、そのときには気ちがひのやうに、わん/\ほえまくりました。
おばあさんは、でも、ピエロをかはいがつて、とき/″\、食べあまりのシチュウの汁《しる》なぞを、小さなパンのきれへしませてもつて来て、じぶんの手から食べさせたりしました。
二
ところがおばあさんは、犬を飼ふのに税金がいるといふことを、ちつともしらないでゐました。その税金が八円だと聞くと、うゝんと言つて気絶しかけました。
「あの、ほえもしない犬に年に八円。うわァ。」
おばあさんは、さつそくだれかにくれてしまはうと言つて、方々へ話してまはりましたが、第一見るからいやな犬なので、だれ一人もらひ手がありません。おばあさんはこまりはてゝ、いつそのこと、すてゝしまふことにきめました。
村には犬のすて場がありました。ひろい原のまん中に、草ぶきの、ひくい小屋見たいなものがたつてゐます。そのひくい屋根の下は、粘土をとるための、二十尺ばかりの深いほり穴で、もちぬしは一年に一どぐらゐその中へ人を入れてほらすだけで、あとは年中ほつたらかしてあるのです。村のものはよくこの中へ、もてあました犬をなげこみました。
ときによると、二三びきの犬が、その穴のそこで、キーン/\と、かつゑてないたり、ウワ/\とおこりくるつてゐることがあります。猟犬や羊かひの犬なぞは、近くをとほるときに、その声をきくと、おそれちゞんでにげ出すのが常でした。その犬たちが十日も十二日も何にも食べないで、よろけおとろへてゐるところへ、また大きな犬がなげこまれたりすると、そのつよい犬が、一ばんよわいやつを食ひにかゝるので、中では、ぎやん/\おほげんかゞつゞくこともありました。とほりがゝりにのぞいて見ますと、その最後の犬が死んで半ぐさりになつたりした、いやな、にほひがぷん/\鼻に来ることがあります。
おばあさんは、村の道ぶしんをする人足に、ピエロをその穴へなげすてゝ来てもらはうと思つて話しますと、おつかひ賃を十二銭くれろと言ひます。こんな小さな、かるいものをあそこまでもつていくのに十二銭も出すのはばか/\しいので、よしました。すると、つい近所の貧乏人が十銭でもつていつてやらうと言ひました。
しかしローズは、もしその男がとちうでピエロをなぐつたり、いじめたり、片わものにしてほうりこみでもしたら、なほのことかはいさうだから、わたしが、すてにいきますと言ひ出しました。
そんなわけで、日がくれてから、おばあさんも、こつそり一しよにいくことにきめました。つれて出る間ぎはに、おばあさんは、これが最後なので、とくべつに、バタを入れたスープをこしらへて飲ませました。ピエロは、それを一しづくものこさず、ぺろ/\とおいしさうに食べて、さもまんぞくしたやうに、しつぽをふりました。ローズは、その小犬を青いまへかけの中へだき入れました。
二人は、人のものをかすめて、にげ出してゞもいくやうに、どん/\足早に原をよこぎつていきました。すると間もなく、穴の上の草ぶきの屋根が見えて来ました。その穴のところへつくと、おばあさんは、中にほかの犬がゐやしないかと、まへこゞみになつて耳をかたむけて聞きさぐりましたが、べつにうなりごゑもしません。これならピエロも中でいぢめられないですむわけです。ローズは、ぽろ/\涙をこぼしながら、ピエロをだきかゝへてなげこみました。
二人ともしばらく足をとめて、じつと耳をかしげてゐますと、ピエロは、ウーと、にぶつた声で一こゑうなりましたが、間もなく、何ものかにかみつかれでもしたやうに、キヤン/\と、いたさうに鳴き、そのつぎには、さもくるしさうにウオ/\とうなりつゞけ、のちには出してくれ、上げてくれといふやうに、ワン/\ほえつゞけました。
二人は、たゞかはいさうだといふ気もちばかりでなく、何だか、ぞくりとこはくなつて、どんどんかけ出してかへりました。ローズが一さんにかけつゞけるので、おばあさんは、
「ローズ、おまちよ。まつてくれ、ローズ。」と言ひながら、いきをきらして走りつゞけました。
その晩おばあさんは、こはいゆめばかり見ました。おばあさんがテイブルにかけて食事をしようとして、スープ入れの深皿《ふかざら》のふたをとりますと、その皿の中から、ふいにピエロがとび出して、がくりと鼻先へかみつきました。
おばあさんはびつくりして目をさましました。するとピエロがギヤン/\ほえたてる声がします。おやとおもつて、じつと耳をすましますと、それは、じぶんの気のせゐだつたと見えて、もう何の音もきこえません。
おばあさんはまた眠りこみましたが、こんどは、いつの間にか、どこかの長い往来を歩いてゐました。いつても/\はてしのない、長い村道です。と、そのうちに、向うの方に、百姓がものをはこぶ、おほきなかご[#「かご」に傍点]が一つころがつてゐます。おばあさんは、何のわけともなく、そのかごへ近づいていくのがこはくて、ひとりでに足がちゞまつて来ました。
でも、しかたなくそばまで来ました。そして、そのかごのふたをあけて見かけるはずみに、中からふいにピエロがとび出して、片方の手にとッつかまりました。おばあさんはびつくりして、ふりはなさうともがきましたが、ピエロはどうしてもはなれません。おばあさんは、とう/\その小犬にぶら下られたまゝ、むがむ中でにげ出しました。
三
あくる朝おばあさんは、まだうすぐらいうちにおきました。そして、さつそくゆうべの穴のところへ出かけました。
いつて見ると、ピエロは、まだワン/\ほえてゐます。おそらく夜どうしほえつゞけて来たのでせう。
「おゝ/\、かはいさうに。ピエロよ。わたしがわるかつた。ゆるしておくれピエロよ。おゝ/\かはいさうに/\。」と、おばあさんは泣き/\よびかけました。すると、ピエロは、おばあさんの声を聞きわけて、こひしさうにクン/\言ひました。おばあさんは、ピエロをひき上げてやつて、もう死ぬまで、だいじに飼つてやらうときめました。
それで、すぐその足で、あの穴の粘土をほる井戸屋のうちへいつて、泣き/\わけをはなしてたのみました。井戸屋はわらひもしないで、すつかり聞いたのち、
「ふん、そ
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング