いい。あすこにいる馬をどれか一ぴきつかまえておおき。私《わたし》はその間《あいだ》に家へいって、手綱《たづな》と鞍《くら》をもって来るから。」と言いました。女は、
「ようございます。それではちゃんとつかまえておきますから、ついでにテイブルの上においてある私の手袋をもって来て下さい。」と言いました。
 ギンは急いで引きかえして、鞍と手綱と、手袋とをもって出て来ますと、女は、さっきからそのままじっとそこに立ったきりでいました。ギンは、
「何をぼんやりしているの。早く馬をつかまえてお出《い》でよ。」と、もって来た手袋の先でじょうだんにちょいと肩をたたきました。
「まあ、あなたはこれで一つ私をおぶちになりましたよ。私が何の悪いこともしないのに。」
 女はため息をつきながらこう言いました。ギンはこの人をもらったときに約束したことを、すっかり忘れていました。
 女は間《ま》もなく馬に乗って、二人で向うの家《うち》へいきました。
 それからまたいく年もたってから、二人は或とき、今度は或|家《うち》の名つけの祝いによばれていきました。人々はそれぞれ席について、ゆかいにさかずきを上げました。すると湖水の女は、ふいに涙をながして、一人でかなしそうにすすり泣きはじめました。
 ギンはおどろいて、そっとその肩をたたいて、どうしたのかと聞きました。
「だってあの罪のない赤ん坊は、あんなにからだがひよわいんですもの。あれではせっかく生れて来てもこの世の喜びというものをうけることは出来ません。見ていてごらんなさい。きっと病気で苦しみとおしてなくなってしまいますから。ですがあなたこれで二度|私《あたし》をおぶちになりましたよ。」
 こう言われて、ギンは、しまったと思いました。もうあと一度になりました。もう一度うっかりぶちでもしたら、女はもうそれきり水の中へかえってしまうのです。三人の子どもたちにとってもだいじなお母《かあ》さまなのですから、いかれてしまうと、それこそたいへんでした。
 ギンはそれからは毎日気をつけて、そんなことにならないように、要心《ようじん》していました。
 それから間もなく、ギン夫婦が名つけの祝いによばれていった赤ん坊が、ひどい病気をして死んでしまいました。
 ギン夫婦はそのおとむらいにいきました。そうすると、湖水の女はみんなが泣きかなしんでいるまんまえで、うれしそうにはっはと
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