い女の人も来あわせておりました。するとそのころ、臣下の中でおそろしく幅《はば》をきかせていた志毘臣《しびのおみ》というものが、その大魚《おうお》の手を取りながら、袁祁王《おけのみこ》にあてつけて、
「ああ、おかしやおかしや、お宮の屋根がゆがんでしまった」と歌いだし、そのあとの歌のむすびを王《みこ》にさし向けました。王《みこ》は、すぐにそれをお受けになって、
「それは大工《だいく》がへただからゆがんだのだ」とお歌いになりました。すると志毘《しび》は重《かさ》ねて、
「いや、どんなに王《みこ》があせられても、わしがゆいめぐらした、八重《やえ》のしばがきの中へははいれまい。大魚《おうお》とわしとの仲《なか》をじゃますることはできまい」と歌いかけました。王《みこ》はすかさず、
「潮《しお》の流れの上の、波の荒《あら》いところにしびが泳いでいる。しびのそばにはしびの妻がついている。ばかなしびよ」とお歌いになりました。
そうすると志毘《しび》はむっと怒《おこ》って、
「王《みこ》のゆったしばがきなぞは、いかに堅固《けんご》にゆいまわしてあろうとも、おれがたちまち切り破って見せる。焼き払《はら》って見せてやる」と歌いました。王《みこ》はどこまでも負けないで、
「あはは、しびよ。そちは魚《さかな》だ。いかにいばっても、そちを突《つ》きに来る海人《あま》にはかなうまい。そんなにこわいものがいては悲しかろう」とお歌いになりました。
王《みこ》は、そんなにして、とうとう夜があけるまで歌い争っておひきあげになりました。そして、お宮へお帰りになるとすぐに、お兄上の意富祁王《おおけのみこ》とご相談なさいました。志毘《しび》はひとりでつけあがって、われわれをもまるで踏《ふ》みつけている。われわれのお宮に仕えている者も、朝はお宮へ来るけれど、それからさきは昼じゅう志毘《しび》の家に集まってこびいっている。あんなやつは後々のために早く討《う》ち亡《ほろぼ》してしまわなければいけない。志毘《しび》は今ごろは疲《つか》れて寝入《ねい》っているにちがいない。門には番人もいまい、襲《おそ》うのは今だとお二人でご決心になりました。そしてすぐに軍勢を集めて志毘《しび》の家をお取り囲みになり、目あての志毘《しび》を難なく切り殺しておしまいになりました。
三
お二人はもはや、お年の上でも十分おひとり立ちで天下をお治めになることがおできになるので、順序《じゅんじょ》からいって、お兄上の意富祁王《おおけのみこ》が、まず第一にご即位《そくい》になるのがほんとうでした。しかし、命《みこと》は弟さまに向かって、
「二人が志自牟《しじむ》のうちにいたときに、もしそなたが名まえを名乗らなかったら、二人ともあのままあそこに埋《うず》もれていなければならなかったはずであった。お互《たが》いにこんなになったのもみんなそなたのお手柄《てがら》である。それで、私は兄に生まれてはいるけれど、どうかそなたからさきに天下を治めておくれ」とおっしゃいました。袁祁王《おけのみこ》はそのことだけはどこまでもご辞退《じたい》になりましたが、お兄上がどうしてもお聞きいれにならないので、とうとうしかたなしに、第一にお位におつきになりました。後に顕宗天皇《けんそうてんのう》と申しあげるのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。
天皇はそれといっしょに大和《やまと》の近飛鳥宮《ちかあすかのみや》へお移りになり、石木王《いしきのみこ》という方のお子さまの難波王《なにわのみこ》とおっしゃる方を、皇后にお迎えになりました。
天皇は、お父上の忍歯王《おしはのみこ》のご遺骨《いこつ》をおさがし申そうとおぼしめして、いろいろ、ご苦心をなさいました。すると、近江《おうみ》から一人の卑《いや》しい老婆《ろうば》がのぼって来て、
「王《みこ》のお骨《こつ》をお埋《う》め申したところは私がちゃんと存じております。おそれながら、王《みこ》には、ゆりの根のようにお重《かさ》なりになったお歯がおありになりました。そのお歯をご覧《らん》になりませば、王《みこ》のお骨《こつ》ということはすぐにお見分けがつきます」と申しあげました。天皇はさっそく近江《おうみ》の蚊屋野《かやの》へおくだりになって、土地の人民におおせつけになって、老婆《ろうば》の指《さ》す場所をお掘《ほ》らせになり、たしかにお父上のご遺骨をお見出しになりました。それで蚊屋野《かやの》の東の山にみささぎを作ってお葬《ほうむ》りになり、さきに、お父上たちに猟をおすすめ申しあげた、あの韓袋《からぶくろ》の子孫をお墓守《はかも》りにご任命になりました。
天皇はそれからご還御《かんぎょ》の後、さきの老婆《ろうば》をおめしのぼせになりまして、
「そちは大事な場所をよく見届《みとど》けておいてくれた」とおほめになり、置目老媼《おきめのおみな》という名をおくだしになりました。そして、とうぶんそのまま宮中《きゅうちゅう》へおとどめになって、おてあつくおもてなしになった後、改めてお宮の近くの村へお住ませになり、毎日一度はかならずおそばへめして、やさしくお言葉《ことば》をかけておやりになりました。天皇はそのためにわざわざお宮の戸のところへ大きな鈴《すず》をおかけになり、置目《おきめ》をおめしになるときは、その鈴をお鳴らしになりました。
後には置目《おきめ》は、
「私もたいそう年をとりましたので、生まれた村へ帰りたくなりました」と申しあげました。
天皇は置目《おきめ》のおねがいをお許しになり、それではもうあすからそなたを見ることもできないのかとおっしゃる意味の、お別れの歌をお歌いになりながら、わざわざ見送りまでしておやりになりました。
つぎに天皇は、昔《むかし》お兄上とお二人で大和《やまと》からお逃《に》げになる途中で、おべんとうを奪《うば》い取った、あのしし飼《かい》の老人をおさがし出しになって大和《やまと》の飛鳥川《あすかがわ》の川原《かわら》で死刑《しけい》にお行ないになりました。その悪者の老人は志米須《しめす》というところに住んでおりました。天皇はなおその上の刑罰《けいばつ》として、その老人の一族の者たちのひざの筋《すじ》を断《た》ち切らせておしまいになりました。これらの者たちは、その後|大和《やまと》へのぼるのに、いつもびっこを引いて出て来ました。
四
天皇は、お父上をお殺しになった雄略天皇《ゆうりゃくてんのう》を、深くお恨《うら》みになりまして、せめてそのみ霊《たま》に向かって復しゅうをしようというおぼしめしから、人をやって、河内《かわち》の多治比《たじひ》というところにある、天皇のみささぎをこわさせようとなさいました。
するとお兄上の意富祁王《おおけのみこ》が、
「天皇のみささぎをこわすためなら、ほかのものをやってはいけません。私《わたし》が自分で行っておぼしめしどおりこわして来ます」とご奏上《そうじょう》になりました。天皇は、
「それではあなたがおいでになるがよい」とお許しになりました。意富祁王《おおけのみこ》は急いでお出かけになりました。そしてまもなくお帰りになって、
「ちゃんとこわしてまいりました」とおっしゃいました。
しかし、そのお帰りがあんまりお早いので、天皇は変だとおぼしめし、
「いったいどんなふうにおこわしになったのです」とおたずねになりました。するとお兄上は、
「実はみささぎの土を少しだけ掘《ほ》りかえしてまいりました」とお答えになりました。天皇は、それをお聞きになって、
「それはまたどういうわけでしょう。お父上の復しゅうをするのに、土を少し掘って帰られただけでは飽《あ》きたりないではありませんか。なぜみささぎをすっかりこわして来てくださらないのです」とおっしゃいました。お兄上は、
「そのおおせはいちおうごもっともです。しかし、相手の方はいくら父上のかたきとはいえ、一方ではわれわれのおじであり、またわれわれの天皇のお一人でいらっしゃるお方です。私たちがただ父上のかたきということだけ考えて天皇ともある方のみささぎをこわしたとなりますと、後の世の人から必ずそしりを受けます。ただかたきはどこまでも報いねばならないので、その印《しるし》に土を少し掘《ほ》って来たのです。このくらいの恥《はじ》を与えたのならば、後世《こうせい》だれにもはばかることはありますまいから」
こう言って、そのわけをお話しになりました。すると天皇も、
「なるほどそれは道理である。あなたのなさったとおりでよろしい」とおっしゃってご満足になりました。
天皇は八年の間天下をお治めになった後、おん年三十八歳でおかくれになりました。天皇はお子さまが一人もおありになりませんでした。それでおあとにはお兄上の意富祁王《おおけのみこ》が仁賢天皇《にんけんてんのう》としてご即位《そくい》になりました。
天皇は大和《やまと》の石上《いそのかみ》の広高宮《ひろたかのみや》へお移りになり、皇后には雄略天皇《ゆうりゃくてんのう》のお子さまの春日大郎女《かすがのおおいらつめ》とおっしゃる方をお立てになりました。
天皇のおつぎには、皇子《おうじ》小長谷若雀命《こはつせのわかささぎのみこと》が武烈天皇《ぶれつてんのう》としてお位におつきになりました。そのおあとには、継体《けいたい》、安閑《あんかん》、宣化《せんか》、欽明《きんめい》、敏達《びたつ》、用明《ようめい》、崇峻《すしゅん》、推古《すいこ》の諸天皇《しょてんのう》がつぎつぎにお位におのぼりになりました。
※校正者註:底本の間違いと思われる箇所のうち、読解に支障がありそうな部分を修正しました。その際、「古事記」(倉野憲司校注、岩波文庫、1988年1月14日第36刷)および J−text(http://www.j−text.com/)の電子テキスト版「古事記物語」を参照しました。
ページ数−行数「底本」→「修正」
10−11、10−12、21−17、22−1「かつら」→「かずら」
17−6「とおっしゃいました」」→「とおっしゃいました。」
18−13「お互《たがい》い」→「お互《たが》い」
20−13「おさ」→「梭《ひ》」
21−12「鉄床《てつどこ》」→「鉄床《かなどこ》」
31−2「須加《すか》」→「須加《すが》」
33−14「一別」→「一列」
34−6「うさぎはおんおん」→「うさぎはまたおんおん」
38−1「お引出きし」→「お引き出し」
42−2「お父上の大神の」→「お父上の大神も」
51−12「おりて来ました、」→「おりて来ました。」
53−8「屋羽張神」→「尾羽張神」
64−14「なつて」→「なって」
68−1「出てまいりました。」→「出てまいりまして、」
80−4「速吸門《はやすいかど》」→「速吸門《はやすいのと》」
80−9「そちはそのへんの」→「そちはこのへんの」
85−6「申します、」→「申します。」
87−1「忍坂《おざか》」→「忍坂《おさか》」
93−3、100−3「崇神天皇《すいじんてんのう》」→「崇神天皇《すじんてんのう》」
98−14「陣取りました、」→「陣取りました。」
100−10「どうぞ、この刀で」→「どうぞこの刀で、」
105−4「弟媛《おひめ》」→「弟媛《おとひめ》」
109−4「本牟智別王《はむちわけのみこ》」→「本牟智別王《ほむちわけのみこ》」
113−8「別稲置《わけいなぎ》」→「別《わけ》、稲置《いなぎ》」
118−12「切りほうって」→「切り屠《ほふ》って」
119−3「あかひのき」→「いちい」
123−4「小野《おぬ》」→「小野《おの》」
125−14「のばって」→「のぼって」
131−14「七拳脛《なかつかはぎ》」→「七拳脛《ななつかはぎ》」
136−3「山の神、海の神、海と河との神々」→「山の神、海と河との神々」
137−6「無久」→「無窮」
137−8「さつそく」→「さっそく」
139−9「つれて」→「奉じて」
141−2「切《きら》らせて」→「切《き》
前へ
次へ
全25ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング