ゃんと待ち受けておりました。天皇の軍勢はそれをめがけて撃ってかかりました。
 皇后はそうなると、こんどはまたおあにいさまのことがおいたわしくおなりになって、じっとしておいでになることができなくなりました。それで、とうとうこっそり裏口《うらぐち》のご門から抜《ぬ》け出して、沙本毘古《さほひこ》のとりでの中へかけつけておしまいになりました。
 皇后はそのときちょうど、お腹《なか》にお子さまをお持ちになっていらっしゃいました。
 天皇は、もはや三年もごちょう愛になっていた皇后でおありになるうえに、たまたまお身持ちでいらっしゃるものですから、いっそうおかわいそうにおぼしめして、どうか皇后のお身におけががないようにと、それからは、とりでもただ遠まきにして、むやみに攻め落とさないように、とくにご命令をおくだしになりました。

       二

 そんなことで、かれこれ戦《いくさ》も長びくうちに、皇后はおあにいさまのとりでの中で皇子をお生みおとしになりました。
 皇后はそのお子さまをとりでのそとへ出させて、天皇の軍勢の者にお見せになり、
「この御子《みこ》をあなたのお子さまとおぼしめしてくださるならば、どうぞひきとってご養育なすってくださいまし」と、天皇にお伝えさせになりました。
 天皇はそのことをお聞きになりますと、ついでにどうかして皇后をもいっしょに取りかえしたいとお思いになりました。それは、兄の沙本毘古《さほひこ》に対しては、刻《きざ》み殺してもたりないくらい、お憤《いきどお》りになっておりますが、皇后のことだけは、どこまでもおいたわしくおぼしめしていらっしゃるからでした。
 それで味方の兵士の中で、いちばん力の強い、そしていちばんすばしっこい者をいく人かお選びになって、
「そちたちはあの皇子を受け取るときに、必ず母の后《きさき》をもひきさらってかえれ。髪でも手でも、つかまりしだいに取りつかまえて、無理にもつれ出して来い」とお言いつけになりました。
 しかし皇后のほうでも、天皇がきっとそんなお企《くわだて》をなさるに違いないと、ちゃんとお感づきになっていましたので、そのときの用意に、前もってお髪《ぐし》をすっかりおそり落としになって、そのお毛をそのままそっとお被《かぶ》りになり、それからお腕先《うでさき》のお玉飾《たまかざ》りも、わざと、つなぎの緒《ひも》を腐《くさ》らして、お腕へ三重《みえ》にお巻きつけになり、お召物《めしもの》もわざわざ酒で腐らしたのをおめしになって、それともなげに皇子を抱《かか》えて、とりでの外へお出ましになりました。
 待ちかまえていた勇士たちは、そのお子さまをお受け取り申すといっしょに、皇后をも奪い取ろうとして、すばやく飛びかかってお髪《ぐし》をひっつかみますと、髪はたちまちすらりとぬげ落ちてしまいました。
「おや、しまった」と、こんどはお手をつかみますと、そのお手の玉飾りの緒《ひも》もぷつりと切れたので、難《なん》なくお手をすり抜《ぬ》いてお逃《に》げになりました。こちらはまたあわてて追いすがりながら、ぐいとお召物をつかまえました。すると、それもたちまちぼろりとちぎれてしまいました。その間に皇后は、さっと中へ逃げこんでおしまいになりました。
 勇士どもはしかたなしに、皇子一人をお抱《かか》え申して、しおしおと帰ってまいりました。
 天皇はそれらの者たちから、
「お髪《ぐし》をつかめばお髪がはなれ、玉の緒《ひも》もお召物《めしもの》も、みんなぷすぷす切れて、とうとうおとりにがし申しました」とお聞きになりますと、それはそれはたいそうお悔《くや》みになりました。
 天皇はそのために、宮中の玉飾りの細工人《さいくにん》たちまでお憎《にく》みになって、それらの人々が知行《ちぎょう》にいただいていた土地を、いきなり残らず取りあげておしまいになりました。
 それから改めて皇后の方へお使いをお出しになって、
「すべて子供の名は母がつけるものときまっているが、あの皇子は、なんという名前にしようか」とお聞きかせになりました。
 皇后はそれに答えて、
「あの御子《みこ》は、ちょうどとりでが火をかけられて焼けるさいちゅうに、その火の中でお生まれになったのでございますから、本牟智別王《ほむちわけのみこ》とお呼び申したらよろしゅうございましょう」とおっしゃいました。そのほむちというのは火のことでした。
 天皇はそのつぎには、
「あの子には母がないが、これからどうして育てたらいいか」とおたずねになりますと、
「ではうばをお召《め》し抱《かか》えになり、お湯をおつかわせ申す女たちをもおおきになって、それらの者にお任《まか》せになればよろしゅうございます」とお答えになりました。
 天皇は最後に、
「そちがいなくなっては、おれの世話はだれが
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