の命はお二人のおあにいさまをおいてお位におつきになり、大和《やまと》の葛城宮《かつらぎのみや》にお移りになって、天下をお治めになりました。すなわち第二代、綏靖天皇《すいぜいてんのう》さまでいらっしゃいます。
 天皇はご短命で、おん年四十五でお隠《かく》れになりました。
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 赤い盾《たて》、黒い盾《たて》

       一

 綏靖天皇《すいぜいてんのう》から御《おん》七代をへだてて、第十代目に崇神天皇《すじんてんのう》がお位におつきになりました。
 天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その中で皇女、豊※[#「金+且」、第3水準1−93−12]入媛《とよすきいりひめ》が、はじめて伊勢《いせ》の天照大神《あまてらすおおかみ》のお社《やしろ》に仕えて、そのお祭りをお司《つかさど》りになりました。また、皇子《おうじ》倭日子命《やまとひこのみこと》がおなくなりになったときに、人がきといって、お墓のまわりへ人を生きながら埋《う》めてお供《とも》をさせるならわしがはじまりました。
 この天皇の御代《みよ》には、はやり病《やまい》がひどくはびこって、人民という人民はほとんど死に絶えそうになりました。
 天皇は非常にお嘆《なげ》きになって、どうしたらよいか、神のお告げをいただこうとおぼしめして、御身《おんみ》を潔《きよ》めて、慎《つつし》んでお寝床《ねどこ》の上にすわっておいでになりました。そうするとその夜のお夢に、三輪《みわ》の社《やしろ》の大物主神《おおものぬしのかみ》が現われていらしって、
「こんどのやく病はこのわしがはやらせたのである。これをすっかり亡《ほろ》ぼしたいと思うならば、大多根子《おおたねこ》というものにわしの社《やしろ》を祀《まつ》らせよ」とお告げになりました。天皇はすぐに四方へはやうまのお使いをお出しになって、そういう名まえの人をおさがしになりますと、一人の使いが、河内《かわち》の美努村《みぬむら》というところでその人を見つけてつれてまいりました。
 天皇はさっそくご前にお召《め》しになって、
「そちはだれの子か」とおたずねになりました。
 すると大多根子《おおたねこ》は、
「私は大物主神《おおものぬしのかみ》のお血筋《ちすじ》をひいた、建甕槌命《たけみかづちのみこと》と申します者の子でございます」とお答えいたしました。
 それというわけ
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