ていても、これまでただの一度もめいったお顔をなさったことがないのに、ゆうべにかぎって深いため息をなさいました。なにか急にご心配なことがおできになったのでしょうか」と言いました。
海の神はそれを聞くと、あとで命に向かって、
「さきほど娘《むすめ》が申しますには、あなたは三年の間こんなところにおいでになりましても、ふだんはただの一度も、ものをお嘆《なげ》きになったことがないのに、ゆうべはじめてため息をなさいましたと申します。何かわけがおありになるのでございますか。いったいいちばんはじめ、どうしてこの海の中なぞへおいでになったのでございます」こう言っておたずね申しました。
命はこれこれこういうわけで、つり針《ばり》をさがしに来たのですとおっしゃいました。
海の神はそれを聞くと、すぐに海じゅうの大きな魚《さかな》や小さな魚を一ぴき残さず呼《よ》び集めて、
「この中にだれか命の針をお取り申した者はいないか」と聞きました。すると魚たちは、
「こないだから雌《め》だいがのどにとげを立てて物が食べられないで困《こま》っておりますが、ではきっとお話のつり針をのんでいるに相違ございません」と言いました。
海の神はさっそくそのたいを呼んで、のどの中をさぐって見ますと、なるほど、大きなつり針を一本のんでおりました。
海の神はそれを取り出して、きれいに洗って命にさしあげました。すると、それがまさしく命のおなくしになったあの針でした。海の神は、
「それではお帰りになって、おあにいさまにお返しになりますときには、
いやなつり針、
わるいつり針、
ばかなつり針。
とおっしゃりながら、必ずうしろ向きになってお渡しなさいまし。それから、こんどからはおあにいさまが高いところへ田をお作りになりましたら、あなたは低いところへお作りなさいまし。そのあべこべに、おあにいさまが低いところへお作りになりましたら、あなたは高いところへお作りになることです。すべて世の中の水という水は私が自由に出し入れするのでございます。おあにいさまは針のことでずいぶんあなたをおいじめになりましたから、これからはおあにいさまの田へはちっとも水をあげないで、あなたの田にばかりどっさり入れておあげ申します。ですから、おあにいさまは三年のうちに必ず貧乏《びんぼう》になっておしまいになります。そうすると、きっとあなたを
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