」とおっしゃいました。
 しかし、そのお帰りがあんまりお早いので、天皇は変だとおぼしめし、
「いったいどんなふうにおこわしになったのです」とおたずねになりました。するとお兄上は、
「実はみささぎの土を少しだけ掘《ほ》りかえしてまいりました」とお答えになりました。天皇は、それをお聞きになって、
「それはまたどういうわけでしょう。お父上の復しゅうをするのに、土を少し掘って帰られただけでは飽《あ》きたりないではありませんか。なぜみささぎをすっかりこわして来てくださらないのです」とおっしゃいました。お兄上は、
「そのおおせはいちおうごもっともです。しかし、相手の方はいくら父上のかたきとはいえ、一方ではわれわれのおじであり、またわれわれの天皇のお一人でいらっしゃるお方です。私たちがただ父上のかたきということだけ考えて天皇ともある方のみささぎをこわしたとなりますと、後の世の人から必ずそしりを受けます。ただかたきはどこまでも報いねばならないので、その印《しるし》に土を少し掘《ほ》って来たのです。このくらいの恥《はじ》を与えたのならば、後世《こうせい》だれにもはばかることはありますまいから」
 こう言って、そのわけをお話しになりました。すると天皇も、
「なるほどそれは道理である。あなたのなさったとおりでよろしい」とおっしゃってご満足になりました。
 天皇は八年の間天下をお治めになった後、おん年三十八歳でおかくれになりました。天皇はお子さまが一人もおありになりませんでした。それでおあとにはお兄上の意富祁王《おおけのみこ》が仁賢天皇《にんけんてんのう》としてご即位《そくい》になりました。
 天皇は大和《やまと》の石上《いそのかみ》の広高宮《ひろたかのみや》へお移りになり、皇后には雄略天皇《ゆうりゃくてんのう》のお子さまの春日大郎女《かすがのおおいらつめ》とおっしゃる方をお立てになりました。
 天皇のおつぎには、皇子《おうじ》小長谷若雀命《こはつせのわかささぎのみこと》が武烈天皇《ぶれつてんのう》としてお位におつきになりました。そのおあとには、継体《けいたい》、安閑《あんかん》、宣化《せんか》、欽明《きんめい》、敏達《びたつ》、用明《ようめい》、崇峻《すしゅん》、推古《すいこ》の諸天皇《しょてんのう》がつぎつぎにお位におのぼりになりました。



※校正者註:底本の間違いと思われる箇所の
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