しておしまいになりました。
それからあくる日そこをお立ちになり、大和《やまと》の遠飛鳥《とおあすか》という村までおいでになって、そこへまた一|晩《ばん》おとまりになったうえ、けがれ払《ばら》いのお祈りをなすって、そのあくる日|石上《いそのかみ》の神宮へおうかがいになりました。そしておおせつけのとおり、中津王《なかつのみこ》を平《たい》らげてまいりましたとご奏上《そうじょう》になりました。
天皇はそれではじめて王《みこ》を御前《ごぜん》へお通しになりました。それから阿知直《あちのあたえ》に対しても、ごほうびに蔵《くら》の司《つかさ》という役におつけになり、たいそうな田地《でんぢ》をもおくだしになりました。
三
天皇は後に大和《やまと》の若桜宮《わかざくらのみや》にお移りになり、しまいにおん年六十四でおかくれになりました。そのおあとは、弟さまの水歯別王《みずはわけのみこ》がお継《つ》ぎになりました。後に反正天皇《はんしょうてんのう》とお呼《よ》び申すのがこの天皇のおんことです。
天皇はお身のたけが九|尺《しゃく》二寸五|分《ぶ》、お歯の長《なが》さが一|寸《すん》、幅《はば》が二|分《ぶ》おありになりました。そのお歯は上下とも同じようによくおそろいになって、ちょうど玉をつないだようにおきれいでした。河内《かわち》の多遅比《たじひ》の柴垣宮《しばがきのみや》で、政《まつりごと》をおとりになり、おん年六十でおかくれになりました。
四
反正天皇《はんしょうてんのう》のおあとには、弟さまの若子宿禰王《わくごのすくねのみこ》が允恭天皇《いんきょうてんのう》としてお位におつきになり、大和《やまと》の遠飛鳥宮《とおあすかのみや》へお移りになりました。
天皇は、もとからある不治のご病気がおありになりましたので、このからだでは位にのぼることはできないとおっしゃって、はじめには固《かた》くご辞退《じたい》になりました。しかし、皇后やすべての役人がしいておねがい申すので、やむなくご即位《そくい》になったのでした。
するとまもなく新羅国《しらぎのくに》から、八十一そうの船で貢物《みつぎもの》を献《けん》じて来ました。そのお使いにわたって来た金波鎮《こんばちん》、漢起武《かんきむ》という二人の者が、どちらともたいそう医薬のことに通じておりまして、
前へ
次へ
全121ページ中100ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング