後にみんなは、その船が古びこわれたのを燃やして塩を焼き、その焼け残った木で琴《こと》を作りました。その琴をひきますと、音が遠く七つの村々まで響《ひび》いたということです。
天皇はついにおん年八十三でおかくれになりました。
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大鈴《おおすず》小鈴《こすず》
一
仁徳天皇《にんとくてんのう》には皇子《おうじ》が五人、皇女《おうじょ》が一人おありになりました。その中で伊邪本別《いざほわけ》、水歯別《みずはわけ》、若子宿禰《わくごのすくね》のお三方《さんかた》がつぎつぎに天皇のお位におのぼりになりました。
いちばんのお兄上の伊邪本別皇子《いざほわけのおうじ》は、お父上の亡《な》きおあとをおつぎになって、同じ難波《なにわ》のお宮で、履仲天皇《りちゅうてんのう》としてお位におつきになりました。
そのご即位《そくい》のお祝いのときに、天皇はお酒をどっさり召《め》しあがって、ひどくお酔《よ》いになったままおやすみになりました。
すると、じき下の弟さまの中津王《なかつのみこ》が、それをしおに天皇をお殺し申してお位を取ろうとおぼしめして、いきなりお宮へ火をおつけになりました。火の手は、たちまちぼうぼうと四方へ燃え広がりました。お宮じゅうの者はふいをくって大あわてにあわて騒《さわ》ぎました。
天皇は、それでもまだ前後もなくおよっていらっしゃいました。それを阿知直《あちのあたえ》という者が、すばやくお抱《かか》え申しあげ、むりやりにうまにお乗せ申して、大和《やまと》へ向かって逃《に》げ出して行きました。
お酔いつぶれになっていた天皇は、河内《かわち》の多遅比野《たじひの》というところまでいらしったとき、やっとおうまの上でお目ざめになり、
「ここはどこか」とおたずねになりました。阿知直《あちのあたえ》は、
「中津王《なかつのみこ》がお宮へ火をお放ちになりましたので、ひとまず大和《やまと》の方へお供《とも》をしてまいりますところでございます」とお答え申しました。
天皇はそれをお聞きになって、はじめてびっくりなさり、
「ああ、こんな多遅比《たじひ》の野の中に寝《ね》るのだとわかっていたら、夜風《よかぜ》を防ぐたてごもなりと持って来ようものを」
と、こういう意味のお歌をお歌いになりました。
それから埴生坂《はにうざか》という坂までおいでになり
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