それをご覧になって、みなの者も、もうすっかりゆたかになったとおっしゃって、ようやくご安心なさいました。そして、そこではじめて租税《そぜい》や夫役《ぶやく》をおおせつけになりました。
すると人民は、もう十分にたくわえもできていましたので、お納物《おさめもの》をするにも、使い働きにあがるのにも、それこそ楽々とご用を承《うけたまわ》ることができました。
天皇はしもじもに対して、これほどまでに思いやりの深い方でいらっしゃいました。ですから後の代《よ》からも永《なが》くお慕《した》い申しあげてそのご一代《いちだい》を聖帝《せいてい》の御代《みよ》とお呼《よ》び申しております。
二
この天皇の皇后でいらしった岩野媛《いわのひめ》は、それはそれは、たいへんにごしっとのはげしいお方で、ちょっとのことにも、じきに足ずりをして、火がついたようにお騒ぎたてになりました。それですから、宮中《きゅうちゅう》に召《め》し使われている婦人たちは、天皇のおへやなぞへは、うっかりはいることもできませんでした。
あるとき天皇はそのころ吉備《きび》といっていた、今の備前《びぜん》、備中《びっちゅう》地方《ちほう》の、黒崎《くろさき》というところに、海部直《あまのあたえ》という者の子で、黒媛《くろひめ》というたいそうきりょうのよい娘《むすめ》がいるとお聞きになり、すぐに召《め》しのぼせて宮中でお召し使いになりました。
ところが皇后がことごとにつけて、あまりにねたみおいじめになるものですから、黒媛《くろひめ》はたまりかねてとうとうお宮を逃《に》げ出しておうちへ帰ってしまいました。
そのとき天皇は、高殿《たかどの》にお上りになって、その黒媛《くろひめ》の乗っている船が難波《なにわ》の港を出て行くのをご覧《らん》になりながら、
かわいそうに、あそこに黒媛《くろひめ》がかえって行く。
あの沖《おき》に、たくさんの小船《こぶね》にまじって、あの女の船が出て行くよ。
とこういう意味のお歌をお歌いになりました。
すると皇后は、そのことをお聞きになって、ひどく怒《おこ》っておしまいになり、すぐに人をやって、黒媛《くろひめ》をむりやりに船からひきおろさせて、はるかな吉備《きび》の国まで、わざと歩いておかえしになりました。
天皇はその後も、黒媛《くろひめ》のことをしじゅうあわれに
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