》あっている。
  さあつれて行け。

という意味をお歌に歌ってお祝いになりました。
 皇子《おうじ》はとうから評判にも聞いていた、このきれいな人を、天皇のお許しでお妃《きさき》におもらいになったお嬉《うれ》しさを、同じく歌にお歌いになって、大喜びで御前《ごぜん》をおさがりになりました。

       三

 この天皇の御代《みよ》には、新羅《しらぎ》の国の人がどっさり渡《わた》って来ました。武内宿禰《たけのうちのすくね》はその人々を使って、方々に田へ水を取る池などを掘《ほ》りました。
 それから百済《くだら》の国の王からは、おうま一|頭《とう》、めうま一頭に阿知吉師《あちきし》という者をつけて献上《けんじょう》し、また刀や大きな鏡なぞをも献《けん》じました。
 天皇は百済《くだら》の王に向かって、おまえのところに賢《かしこ》い人があるならばよこすようにとおおせになりました。王はそれでさっそく和邇吉師《わにきし》という学者をよこしてまいりました。
 そのとき和邇《わに》は、十|巻《かん》の論語《ろんご》という本と、千字文《せんじもん》という一巻の本とを持って来て献上しました。また、いろいろの職工や、かじ屋の卓素《たくそ》という者や、機織《はたおり》の西素《さいそ》という者や、そのほか、酒を造ることのじょうずな仁番《にほ》という者もいっしょに渡って来ました。
 天皇はその仁番《にほ》、またの名、須須許理《すずこり》のこしらえたお酒をめしあがりました。そして、
「ああ酔《よ》った、須須許理《すずこり》がかもした酒に心持よく酔った。おもしろく酔った」
という意味の歌をお歌いになりながら、お宮の外へおでましになって、河内《かわち》の方へ行く道のまん中にあった大きな石を、おつえをあげてお打ちになりますと、その石がびっくりして飛びのきました。

       四

 天皇《てんのう》は後にとうとうおん年百三十でおかくれになりました。
 それで大雀命《おおささぎのみこと》は、かねておおせつかっていらっしゃるとおり、若郎子《わかいらつこ》をお位におつけしようとなさいました。
 ところがお兄上の大山守命《おおやまもりのみこと》は、天皇のおおせ残しにそむいて、若郎子《わかいらつこ》を殺して自分で天下を取ろうとおかかりになり、ひそかに兵をお集めになりだしました。
 大雀命《おおささぎの
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