てしまえ」とのろって、そのかごをかまどの上に置かせました。
すると兄の神は、そのたたりで、まる八年の間、ひからびしおれ、病《や》みつかれて、それはそれは苦しい目を見ました。それでとうとう弱り果《は》てて泣《な》く泣く母上の女神におわびをしました。
女神はそのときやっとのろいをといてやりました。そのおかげで兄の神は、またもとのとおりのじょうぶなからだにかえりました。
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宇治《うじ》の渡《わた》し
一
お小さな応仁天皇《おうじんてんのう》も、そのうちにすっかりご成人になって、大和《やまと》の明《あきら》の宮で、ご自身に政《まつりごと》をお聞きになりました。
あるとき、天皇は近江《おうみ》へご巡幸《じゅんこう》になりました。そのお途中で、山城《やましろ》の宇治野《うじの》にお立ちになって、葛野《かづの》の方をご覧《らん》になりますと、そちらには家々も多く見え、よい土地もどっさりあるのがお目にとまりました。
天皇はそのながめを歌にお歌いになりながら、まもなく木幡《こばた》というところまでおいでになりますと、その村のお道筋で、それはそれは美しい一人の少女にお出会いになりました。
天皇は、
「そちはだれの娘《むすめ》か」とおたずねになりました。
「私は比布礼能意富美《ひふれのおおみ》と申します者の子で、宮主矢河枝媛《みやぬしやかわえひめ》と申します者でございます」と、その娘はお答え申しました。
すると、天皇は
「ではあす帰りにそちのうちへ行くぞ」とおっしゃいました。
媛《ひめ》はおうちへ帰って、すべてのことをくわしくおとうさまに話しました。
おとうさまの意富美《おおみ》は、
「それではそのお方は天子さまだ。これはこれはもったいない。そちも十分気をつけて失礼のないようによくおもてなし申しあげよ」と言いきかせました。そしてさっそくうちじゅうを、すみずみまですっかり飾《かざ》りつけて、ちゃんとお待ち申しておりました。
天皇はおおせのとおり、あくる日お立ちよりになりました。意富美《おおみ》らは怖《おそ》れかしこみながら、ごちそうを運んでおもてなしをしました。
天皇は矢河枝媛《やかわえひめ》が奉《たてまつ》るさかずきをお取りになって、
この料理のかには、
越前《えちぜん》敦賀《つるが》のかにが、
横ざまにはって、
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