わって飛んで行きました。
 お妃《きさき》は潮《しお》の中を歩きなやみながら、おんおんお泣きになりました。
 その鳥は、とうとう伊勢《いせ》から河内《かわち》の志紀《しき》というところへ来てとまりました。それで、そこへお墓を作って、いったんそこへお鎮《しず》め申しましたが、しかし鳥は、あとにまた飛び出して、どんどん空をかけて、どこへともなく逃《に》げ去ってしまいました。

       五

 命《みこと》には、お子さまが男のお子ばかり六人おいでになりました。その中の、帯中津日子命《たらしなかつひこのみこと》とおっしゃる方は、後にお祖父上《そふうえ》の天皇のおつぎの成務天皇《せいむてんのう》のおあとをお継《つ》ぎになりました。すなわち仲哀天皇《ちゅうあいてんのう》でいらっしゃいます。
 命が諸方を征伐《せいばつ》しておまわりになる間は、七拳脛《ななつかはぎ》という者が、いつもご料理番としてお供について行きました。
 御父上《おんちちうえ》の景行天皇《けいこうてんのう》は、おん年百三十七でおかくれになりました。
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 朝鮮征伐《ちょうせんせいばつ》

       一

 仲哀天皇《ちゅうあいてんのう》は、ある年、ご自身で熊襲《くまそ》をお征伐《せいばつ》におくだりになり、筑前《ちくぜん》の香椎《かしい》の宮というお宮におとどまりになっていらっしゃいました。
 そのとき天皇は、ある夜、戦《いくさ》のお手だてについて、神さまのお告げをいただこうとおぼしめして、大臣の武内宿禰《たけのうちのすくね》をお祭場《まつりば》へお坐《すわ》らせになり、御自分はお琴《こと》をおひきになりながら、お二人でお祈《いの》りをなさいました。そうすると、どなたか一人の神さまが、皇后の息長帯媛《おきながたらしひめ》のおからだにお乗りうつりになり、皇后のお口をお借りになって、
「これから西の方にあるひとつの国がある、そこには金銀をはじめ、目もまぶしいばかりの、さまざまの珍《めずら》しい宝《たから》がどっさりある。つまらぬ熊襲《くまそ》の土地よりも、まずその国をあなたのものにしてあげよう」とおっしゃいました。
「しかし、高いところへ登って西の方を見ましても、そちらの方はどこまでも大海《おおうみ》ばかりで、国などはちっとも見えないではありませんか」と、天皇はお答えになりました。そしてお心の
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