、あわてて船をひきあげさせて、それをひっぱらせて山の間をお越《こ》えになり、またその船をおろして海をお渡《わた》りになったりなすって、やっと無事に都《みやこ》へ逃げておかえりになりました。
曙立王《けたつのみこ》は天皇におめみえをして、
「おおせのとおりに大神をお拝《おが》みになりますと、まもなく、急にお口がおきけになるようになりましたので、一同でお供をして帰ってまいりました」と申しあげました。
天皇は、それはそれは言うに言われないほどお喜びになりました。そしてすぐに兎上王《うがみのみこ》をまた再《ふたた》び出雲《いずも》へおくだしになって、大神のお社《やしろ》をりっぱにご造営《ぞうえい》になりました。
四
天皇はそれですっかりご安心になったので、こんどはご不自由がちな、おそばのご用をおいいつけになるために、かねて皇后がおっしゃってお置きになったように、丹波《たんば》から兄媛《えひめ》たちのきょうだい四人をおめしよせになりました。
しかし下の二人はたいそうみにくい子でしたので、天皇は兄媛《えひめ》とそのつぎの弟媛《おとひめ》とだけをお抱《かか》えになって、あとの二人はそのまま家へかえしておしまいになりました。
すると、いちばん下の円野媛《まどのひめ》は、四人がいっしょにおめしに会って伺《うかが》いながら、二人だけは顔が汚《きた》ないためにご奉公ができないでかえされたと言えば、近所の村々への聞こえも恥ずかしく、とても生きてはいられないと言って、途中の山城《やましろ》の乙訓《おとくに》というところまでかえりますと、あわれにも、そこの深いふちに身を投げて死んでしまいました。
それから天皇はある年、多遅摩毛理《たじまもり》という者に、常世国《とこよのくに》へ行って、香《かおり》の高いたちばなの実《み》を取って来いとおおせつけになりました。
多遅摩毛理《たじまもり》はかしこまって、長い年月《としつき》の間いっしょうけんめいに苦心して、はてしもない大海《おおうみ》の向こうの、遠い遠いその国へやっとたどり着きました。そしておおせのたちばなの実の、枝葉《えだは》のままついたのを八つ、実ばかりのを八つもぎ取って、また長い間かかって、ようよう都へ帰って来ました。しかし天皇はその前に、もうとっくにおかくれになっていました。
多遅摩毛理《たじまもり》はその
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