ダマスカスの賢者
鈴木三重吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)或《ある》とき
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ほり[#「ほり」に傍点]の
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
むかし、ダマスカスといふ町に、イドリスといふなまけものがゐました。貧乏なくせに、はたらくことがきらひなのですからたまりません。或《ある》とき、もういよ/\食べるものもなくなり、売りはらふものと言つたつて、ぼろッきれ一つさへないはめになりました。おかみさんは、
「これではもう二人でかつゑて死ぬばかりです。後生だから、どうぞ今日からお金をもうけに出て下さい。」と、泣いてたのみました。
「お金をもうけるつて、一たい、どうすればいゝんだい。わしは、これまで商ばいをしたこともないし、てんであてがつかないよ。」と、イドリスは、生あくびをしながらかう言つて、長いあごひげをしごいてゐました。
「では、ためしに私《わたし》のいふとほりをしてごらんなさい。たゞお墓場へ出かけて、おまゐりの人が来るたんびに、口の中でおいのりをしてゐればいゝのです。さうすれば、女の人なぞは、きつとお金をくれます。これならあんたにも出来るでせう。」と、おかみさんは言ひました。
イドリスはいちんち考へこんでゐましたが、あくる朝になると、しぶ/\お墓場へ出ていきました。
いつて、おかみさんが言つたとほりにして見ますと、なるほど、お墓まゐりに来た女の人たちが少しづゝお金をくれていきます。イドリスは、これなら、わしにはもつて来いの仕事だと、ほゝ笑んで、それからは、まいにち出て来ては、もぐ/\とお祈りを上げるまねをしてゐました。
人々は、イドリスの、あごをうづめた長いひげや、たえず一しんにいのつてゐるすがたを見て、これは、とても信仰ぶかい、えらい人にちがひないと話し合ひました。しまひには、うはさに尾ひれがついて、あの人は、どんなことでもしつてゐるえらい賢者で、人の秘密でもすぐに見ぬいて言ひあてる、とてもふしぎな人だと、じぶんがためされたやうに言ひふらすものさへ出て来ました。
或とき、イドリスは、いつものやうに墓場へ出かけるとちう、町の中をとぼ/\歩いてゐますと靴《くつ》のそこへくぎが出つぱつて来たと見えて、足の先がいたくてたまらなくなりました。それで或金細工師の店のまへにたちどまつて、その片方の靴をぬいで、中をのぞいて見ました。
そのときその店先には、王さまが、おしのびで、一人のおともをつれて、金の指輪をなほさせに来てゐました。金細工師は、その指輪を左手の人さし指の先にかけて、なほすところを見てゐました。するとどうしたはずみか、指をぴよいと動かしたひようしに、指輪がぽんとどこかへとんでしまひました。
指輪は、ちようどイドリスがのぞきこんでゐる靴の中へ、ひよこりとはいつたのですが、金細工師は、それとは気がつかないので、びつくりして、店中をさがしまはりました。
イドリスは、ほゝう、これはいゝものがとんで来た。ほう、すばらしい宝石がはまつてゐると、にこ/\して、あたりを見まはしました。さいはひ、だれもかんづかないので、そのまゝ、指輪のはいつた靴をはいて、大急ぎで、じぶんの家《うち》へ引きかへしました。
王さまには、それが何ものにもかへられない、だいじな指輪だつたので、たちまちおほさわぎになりました。王さまはおこつてどなりつけます。みんなは血眼になつて、通中をさがしまはりました。しかし、むろん、その指輪が出て来るはずもありません。
王さまは、それは/\くやしがつて、町中のありとあらゆる占ひ師や、魔術つかひをめしよせて指輪のありどころを占はせたり、魔術で見とほしをつけさせようとあせりましたが、だれにも、さつぱりけんとうがつきませんでした。
すると一人の家来が、墓場の賢者のうはさを聞いて来て、これ/\かういふものがゐて、どんな秘密でも、すぐに言ひあてるさうですから、ためしに、その賢者に相談してごらんになつてはいかがでせうと言ひました。そこで王さまは、すぐにイドリスをよびにやりました。イドリスは、何だらうと思ひながら、こは/″\出向いて見ますと、これ/\で、金の指輪が金細工師の店先でなくなつた。一つそのゆくへをあてゝ見ろといふ命令です。イドリスは、はッと思ひました。で、その指輪の形だの、ほり[#「ほり」に傍点]のもよう[#「もよう」に傍点]などをくはしく聞いて見ますと、それは、まさしく、じぶんの靴の中へとびこんだ、あの指輪です。そこで、
「その指輪なら、夕方までおまち下さいませば、かならず私がさがし出してまゐります。」と、うけ合ひました。
夕方になりますと、イドリスは、さも、じぶんがどこからか見つけ出して来たやうな顔をして、指輪をもつていきました。王さまは大そうよろこんで、いろ/\とほうびの品ものを下さり、これから先も、こまつたことが出来わいたら、おまへにたのむぞと言つて、しきりにイドリスのふしぎな眼力をおほめになりました。
イドリスのおかみさんは、イドリスが、りつぱなごほうびを、どつさりいたゞいて来たので、びつくりしてよろこびました。しかし、イドリスは、うれしくも何ともありませんでした。これでは王さまに何かのことがおありのときには、きつとまた私《わたし》をおよびつけになるにちがひない、あの指輪だけは、じぶんがひろつてゐたので、すぐにおわたししたやうなものゝ、このつぎ、何かをさがせの、見とほせのと言はれたら、ギヤフンとまゐるよりほかはない。そんなことから、あの指輪をわしが盗んでゐたことまで、ばれでもしたら、どんなひどいお仕置に合はないともかぎらない、かう思ふと、イドリスは、その日から、じつとしてゐられないほど心配でした。
と、そのうちに、やつぱり王さまから、および出しが来ました。
それは、二三日前の晩に、王宮へ四十人のどろぼうがしのびこんで、お倉の一つの、だいじな宝物を、すつかり盗み出してしまつたのださうで、役人たちが火のやうになつて八方を調べても、犯人があがらない、それでイドリスに、その盗まれた品物のかくしてあるところを考へあてゝくれといふお話です。
イドリスは、こまつて顔をふせてゐました。王さまはつゞけて、
「では四十日間のいうよ[#「いうよ」に傍点]をあたへるから、かならず見つけ出してくれ。このくらゐのことは、おまへにとつては何でもあるまい。だから、もし四十日たつても返答をしないと、それはおまへが、わざとわしをいぢめてこまらすものとみとめ、すぐにくびをはねてしまふから、そのつもりでゐろ。」と言ひわたしました。
イドリスはまつ青《さを》になつてかへつて来ました。王さまのところへいつてどうしたのですと、おかみさんが聞き/\しても、イドリスは返事をさへしません。
「えゝ、うるさい。おまへに言つたつてどうなるものでもない。盗賊が四十人ばかりで王さまのお倉の宝ものを盗み出したのだ。わしは、その品ものゝありかを、四十日間にさがし出さないと、首をとられてしまふのだ。」
イドリスは、しまひにかう言つて、ふかいため息をしました。
イドリスは、いくらなげいても、どうにも仕方がないので、しを/\市場へいつて、くるみを四十買つて来ました。そしておかみさんに向つて、
「今晩から、このくるみを一つづゝくだいて食ふんだ。この四十のくるみがなくなる日には、わしの命もなくなるのだ。」と、ぽろ/\涙をこぼしました。
二
話がかはつて、王さまのお倉をあらしたどろぼうの頭《かしら》は、王さまが墓場の賢者イドリスに命じてじぶんたちをさがしにかゝつてゐるといふうはさを聞きこみました。それで、びつくりして、その晩手下の一人に向ひ、
「おまへは、これからイドリスの家《うち》へ出かけて、イドリスが何を言つてるか聞いて来い。あいつの言つたとほりの言葉を、そのまゝおれに話すのだぞ。」と言ひつけました。
手下の泥棒は、さつそくかけつけました。そしてイドリスのうちの戸のかげに立つて、じつと耳をすましてゐますと、間もなくイドリスは、おかみさんに向つて、
「おい、そのくるみを一つよこせ。」と言ひました。どろぼうの手下は、そつと戸の鍵穴《かぎあな》からのぞいて見ますと、イドリスは、そのくるみを、かちんとたゝきわつて、こちらの鍵穴の方を見つめながら、
「四十の一つだ。」と言ひ/\食べ出しました。どろぼうの手下は、青くなつてかへつて来ました。そして頭に向つて、
「わたしが鍵穴からのぞいてゐますと、イドリスは私の方を見て、四十の一つだと言ひました。」と話しました。頭はびつくりして、そのあくる晩は、ほかの二人の手下に、イドリスが何を言つてるか聞いて来いと言つて出しました。こんどは人をちがへて、そして、いふことがうそでないやうにわざ/\二人のものをやつたわけです。その二人が、やはり鍵穴からのぞいてゐますと、イドリスはおかみさんに、
「そのくるみを一つよこせ。」と言つて、それをわり、
「えへん、四十の二つだ。」と言ひ/\鍵穴の方を見ました。
泥棒の頭はそれを聞くと、いよ/\心配になりました。それであくる晩はまたちがつた三人のものを立ち聞きにやりますと、イドリスはやはりくるみを一つわりながら、
「あゝァ、四十の三つか。」と言ひ/\戸の方を見ました。
どろぼうの頭は、これではもうだめだと、がつかりしました。
「イドリスは、おれたちのしたことを、ちやんと見ぬいてゐるよ。」
頭はみんなにかう言つて、そのあくる晩、三十六人の手下と一しよに、イドリスの家《うち》へ出かけました。そして、おそる/\地びたにすわつて、
「どうぞイドリスさま、私《わたし》どもの名まへだけは、どこまでもかくしとほして下さいまし。そのかはり、王さまのお倉から盗み出しましたものは、そつくりそのまゝ、一と品ものこらずおかへし申します。それは、これ/\かういふ空地にうめて、その上に、白い石が目じるしにおいてあります。」と白状して、平つたくなつてあやまりました。
イドリスは、それこそ夢ではないかと、びつくりしました。しかし、うはべでは、あくまで賢者らしい顔をして、
「よし/\、よく自白をした。それでは、おまへたちの命をたすけるために、名まへだけは言はないでおいてやらう。だが、ほり出して見て、一と品でも不足してゐたら、ようしやなく、おまへたち四十人をのこらずしばり上げるぞ。」と、おどしつけてかへしました。
イドリスはあくる朝さつそく王さまのところへ出かけて、盗難のお品は、一つのこらず、これこれかういふところにかくしてあるやうに思はれます、すぐにほつて見て下さいましと言ひました。
役人たちは、出たものをすつかりつんで来るために、馬を三十頭も用意して出かけました。そしてイドリスの言葉どほり、盗まれた品々を一つもかゝさず、みんなとりかへしました。
王さまは、びつくりして喜んで、イドリスには、馬一頭へ銀貨をつめるだけつませて、それをごほうびにくれました。
イドリスのおかみさんは、そのたいそうな下されものを見ると、とび上つてよろこびました。
「ごらんなさい。神さまはやはり、はたらくものをおたすけになるのです。みんなもとをいふと、あなたがあたしのいふことを聞いて、墓場へはたらきに出たからですよ。だから金の指輪も手にはいり、しまひには、こんなたいそうなお金持になつたのです。」と、得意になつて、はしやぎたてました。
しかしイドリスは、なほ/\気が気ではなくなりました。こんどまた王さまから何をかさがせといはれたらいよ/\命がなくなるわけです。なくなつたりしたものが、二どゝ、あんなにすら/\出て来るはずもありません。
王さまは、それからは、よくイドリスをよんで、ごちそうをしたり、イドリスをおともにつれていろ/\のところへ出かけたりしました。町中のものはイドリスのことを、この上なく、うらやましく思ひまし
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