犬は、
「さ、早くお上《あが》りよ。よ。よ。」と言うように、くんくん言っていましたが、それでもまだ食べようとしないので、相手の食慾をそそろうとするように、その肉のきれのかどを、小さく食い切って、ぺちゃぺちゃと食べて見せました。それでも病犬は、じっとしたまま動きません。こちらの犬は、しかたなしに、こんどは肉のきれを、二、三尺うしろの方へ引きずって来て、それを前足の間《あいだ》においてすわり、さも病犬をさそい出そうとするように、口の先で肉をつッつき/\しては、じっとまっています。
「さ、来て食べてごらん。おいしいよ。ね、ほら。うまそうだろう。食べない? きみが食べなけりゃ、わたしがみんな食べるよ。いいかい。食べてもいいかい。」と言わぬばかりに、しきりにくんくんないたりしました。しかし、いくら手をかえてすすめてもだめでした。病犬はちゅうとで一ど、よろよろと出て来て、肉のはしをちょっとかんで見ましたが、またのそのそとかんなくずの中へかえってうずくまり、目をつぶってうとうとと眠りかけました。
こちらの犬は、肉のきれをくわえていって、その犬の口のところへおき、じぶんも中にはいって砂だらけのかんなくずを、かきまわしたり、ならしたりして、病犬のそばへ一しょに寝ころびました。肉屋たちは、じっとすべてを見ていました。
「おい、もうかえろう。暗くなった。ほんとに感心なものだね。われわれ人間の中にも、あれほど情《なさけ》ぶかい、いきとどいたやつはちょっといないぜ。毎日朝からおれんところではたらいて、夕方になると肉をもって来てあの犬に食わしてるんだ。見上げたものじゃないか。」と肉屋は、しみじみこう言いました。
「まったくです。だが、だんな、あの犬は、ものが食べたいよりも、のどがかわいてるのじゃないでしょうか。水がのみたくても、あれじゃさがしに歩けないでしょうから。」と店のものが言いました。
「ふん、なァるほど。そいつァよく言った。どこかに水は目《め》っからないかな。あ、そこの、へんなちっぽけな家には、だれか住んでるよ。」と肉屋は、空地《あきち》の向うの家《うち》の戸口へいって、
「もしもしちょっと。どなたかいらっしゃいませんか。」と言って、戸をたたきました。すると、中から、うすぎたない女が戸をあけました。肉屋は今の病犬のことを話して、かわいそうですから水をのましてやりたいのですが、と言いますと、女は、小さなあきかん[#「かん」に傍点]へ水を入れてもって来てくれました。肉屋がそれを病犬の口もとへおきますと、犬はすぐにくび[#「くび」に傍点]をのばして、ぺちゃぺちゃと、一気に半分ばかりのみほしました。そして、さもうれしそうに、くびをふりふりしました。もう一つの犬も口をつけてぴちゃぴちゃのみました。病犬は水を飲んだために、少しは元気がついたように見えました。肉屋は、骨と皮とばかりの、そのからだをなでてやり、
「じゃァ、よくおやすみ。あすまた見に来てやるからな。おお/\、かわいそうに。――おまいもあしたまたおいで。」と、もう一つの犬をもなでていきました。
二
あくる朝、肉屋がいつもの時間に店をあけますと、犬はもうちゃんと来てまっていて、くんくん言いながら尾をふります。肉屋は町|中《じゅう》の人々や、買いものに来たお客たちに一々その犬の話をして聞かせました。すると、だれもかれも、
「へえ。」と感心して、犬を見入ったり、くびをなでたりしていきます。犬はやはり夕方まで店の番をつづけました。肉屋はきょうは肉の分量を少しおおくしてやりました。犬はあいかわらずそれをくわえてかえっていきました。肉屋はそのあとから、水さしに水を入れて、それをもってついていきました。
「どら、おれもいって見よう。」と、話を聞いた、となりの人も一しょに出かけました。
それからいく週間もたちました。感心な犬の話は、そこからかしこへとつたわって、町中で大評判になり、わざわざ肉を買いがてら見に来る人もあったりして、肉屋ははんじょうしました。
そのうちに夏が来ました。或朝のことです、これまではいつもひとりで来つづけていた犬は、その日は、ほかの一ぴきの犬と二人で店先へ来ていました。犬は、つれの犬を肉屋にひきあわすように、くんくん言い言い尾をふりました。片方は、やせ骨ばって、よろよろしています。それが、こわごわ肉屋の足もとへ来て、顔を見上げました。れいの病犬が歩けるようになって、一しょに来たのです。肉屋は、
「おお、よく来たね。」と、病犬をなでて、上等の肉を切ってなげてやりますと、すぐにがつがつ食べました。先《せん》からの犬はそれを見て、さも満足したように尾をふりました。それからは毎朝ふたりで出て来ました。ふたりとも店の中へは、めったにはいらないで、しき石の上にすわっていたり、そこ
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