いらを歩いて来たりします。ふたりがけんかなぞをしたことは、ただの一どもありません。夕方になると、いつも肉のきれをもらって食べて、ふたりで町はずれの寝場所へかえっていきます。町ののら犬たちも、このふたりが肉屋のまえにいるのを、もうあたりまえのように思って、けっしてあらそいもせず、さっさととおっていきます。たまに、はじめてまよいこんで来た犬などが、肉屋の店先にでも近よりますと、ふたりの犬はうんうんおこって、すぐにみぞの中へおとしこんだりします。そのころでは、もはや、町中全部の人が、そのふたりの犬のことを話にのぼしました。
 そのうちに、町には急に或大工場が出来て、何千人という職工たちが移住して来ました。そのために、町の外《そと》へは、どんどん家《うち》がたちつまりました。こうして町が大きくなるにつれて、方々からいろいろの人がどっさり入《い》りこんで来ます。その中には、浮浪人《ふろうにん》もかなりたくさんいて、いろいろわるいことばかりするので、警察も急にいろいろのやかましい法令をつくり、ついで衛生上のことにもあれこれと手をつくし出した結果、恐水病《きょうすいびょう》をふせぐために、町中に、のら犬を歩かせないことにきめてしまいました。その手段として、警察では、ほろ[#「ほろ」に傍点]のついた、大きな野犬《やけん》運ぱん用のはこ[#「はこ」に傍点]車《ぐるま》をつくり、それを馬にひかせて、飼主のわからない犬を見つけると、片はしからつかまえてつんでいき、きまった撲殺場《ぼくさつじょう》へもってって殺しました。
 ほろ馬車のはこ[#「はこ」に傍点]は、鉄のこうし[#「こうし」に傍点]がはまって、中に入れられた犬が見えるようにしてあります。ふとしてくび輪をつけわすれたりしていたために、野犬としてつかまえていかれた場合には、警察へいって罰金をおさめると、はこから出してわたしてくれるのでした。町の人たちの中には、このとりしまり法のために、たとえ野犬でも、いつも来なれていた犬がどんどんひっくくられていくので、恐水病のおそれよりもまえに、じつにひどいことをすると言って、警察へ悪感情をいだくものがずいぶんいました。
 或日、そのほろ馬車の一つが、びっこの馬へびしびしむちを入れながら、でこぼこのしき石の上をがたがたと、肉屋のとおりへはいって来ました。
「やあ、来た来た、犬殺しの馬車が来た。」と、向いの人が往来でどなりました。肉屋は、
「どら。」と言って出て見ました。馬車のうしろには巡査が乗って、野犬はいないかと目を光らせています。
「だんな、うちの犬が二ひきとも見えないがだいじょうぶでしょうか。」と店のものが言いました。
「何《なあに》。あいつは二ひきともきびんだからだいじょうぶだよ。」と言っているうちに、馬車は、十四、五|間《けん》手前で、ぱたりととまりました。
「おや。」と思って見ていますと、巡査は、先に針金《はりがね》の輪のついた、へんな棒きれをもったまま、馬車を下りて、そこの横丁へはいっていきました。と、一分間もたたないうちに、巡査は、犬を一ぴきつかまえて引きずッて来ました。犬はきゃんきゃんなきなきていこうしましたが、くびに綱を引っかけられて、ぐんぐん引っぱられるのですからかないません。馬車|使《つかい》は、すばやく鉄ごうしの戸をあけました。犬はたちまちその中へなげ入れられ、綱をとかれてとじこめられてしまいました。
「あきれたね。」と言いながら、肉屋は馬車に近づきました。警官は馬車のうしろへ乗りました。馬車使はちょっととび下《お》りて馬の頬革《ほおかわ》をしめなおしています。肉屋がのぞいて見ますと、中には二十ぴきばかりの犬がごろごろしています。まさか、うちの犬はいないだろうな、と、よく見ようとするとたんに、「わうわう。」と、かなしそうなうなり声を上げた犬がいます。肉屋は、おやッとびっくりしました。うちの犬がつかまっているのです。病犬もいます。二ひきともやられてしまったのです。馬車使は車台《しゃだい》へあがりました。
「おいおい、ちょっとまった。」と、肉屋はまっ青になって、馬のくつわを引ッつかみながら、巡査に向って、
「もしもし、私《わたし》んとこの犬を二ひきとも出して下さい。何という乱暴なことをするんだ。」と喰《く》ってかかりました。
「どけよ。野犬なら仕方がないじゃないか。こら。」と言いながら、馬車使は、ぴしんとむち[#「むち」に傍点]で肉屋をなぐり、馬にもぴしぴしむち[#「むち」に傍点]をあてて、かけ出そうとしました。
「ちきしょう、人をぶちゃァがったな。」と言いながら、肉屋は、すとんと馬車使を引きずりおろしてつきはなし、馬の口をもって、むりやりに店先の方へまわすはずみに、馬は足をすべらして、ばたんとたおれかけました。
「何《なん》だ何だ。」
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