色々の傳へのあるところだが、里の女たちがこゝまで登つて花を摘み、序にこの祠にも奉つたことは、確かである。而も山籠りして花をつむと言ふことは、必しも一つの隱れどころにぢつとして居ることではなく、てんでに思ひ/\の峰谷を渉つてあるくこともあつた、たゞの物忌みの爲ばかりでもないやうだ。女たちの馳けまはる範圍が、野か、山の中に限られて、里つゞきの野道・田の畦などを※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らぬところから、傳へなかつたまでゞあらう。日の伴の樣な自由な野行き山行きは、まだ土地が、幾つとも知らぬ郡村に地割りせられぬ以前からの風であつたのである。如何ほど細かに、村境・字境がきまるやうになつても、春の一日を馳け※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る女人にとつては、なか/\太古の土地を歩くと、同じ氣持ちは拔けきらなかつたであらう。それ故と言ふより、さうした習俗だけが、時代を超えて殘つて居た訣なのである。
此やうに、幾百年とも知れぬ昔から、日を逐うて西に走せ、終に西山・西海の雲居に沈むに到つて之を禮拜して見送つたわが國の韋提希夫人が、幾萬人あつたやら、想像に能はぬ、永い昔である。此風が
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