と思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。
ぢやで、法華經々々々と經の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが助かるといの。
ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化《ナ》り變つて、み經の名を呼ばゝるのかえ。
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郎女には、いつか小耳に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかつた。その頃ちようど、稱讃淨土佛攝受經《シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ》を、千部寫さうとの願を發《オコ》して居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此|世話《ヨバナシ》が再また、紛れ入つて來たのであつた。
ふつと、こんな氣がした。
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ほゝき鳥は、先の世で、御經《オンキヤウ》手寫の願を立てながら、え果《ハタ》さいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若しや今、千部に滿たずにしまふやうなことがあつたら、我が魂《タマ》は何になることやら。やつぱり、鳥か、蟲にでも生れて、切《セツ》なく鳴き續けることであらう。
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