後宴《ゴエン》に、大勢《オホセイ》の氏人《ウヂビト》の集ることは、とりわけやかましく言はれて來た、三四年以來の法度《ハツト》である。
こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の舊い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の爲の武道の傳襲に、努める外はない家持だつたのである。
越中守として踏み歩いた越路《コシヂ》の泥のかたが、まだ行縢《ムカバキ》から落ちきらぬ内に、もう復《マタ》、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな氣がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔《ヒヤウブセフ》から、大輔《タイフ》に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼《カイゲン》が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて來て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎭める程に、人の心を浮き立たした。本朝《ホンテウ》出來の像としては、まづ、此程物凄い天部《テンブ》の姿を拜んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒《アラ》神たちも、こんな形相《ギヤウサウ》でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。
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