傍点]を、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。
板屋の前には、俄かに、蓮の莖が乾し竝べられた。さうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に漬《ヒ》でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こも/″\、交々《コモヾヽ》と叩き柔らげた。
その勤しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出來なくなつた。
日晒しの莖を、八針《ヤツハリ》に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。
果ては、刀自も言ひ出した。
[#ここから1字下げ]
私も、績《ウ》みませう。
[#ここで字下げ終わり]
績《ウ》みに績み、又績みに績んだ。藕絲《ハスイト》のまるがせが、日に/\殖えて、廬堂《イホリダウ》の中に、次第に高く積まれて行つた。
[#ここから1字下げ]
もう今日は、みな月に入る日ぢやの――。
[#ここで字下げ終わり]
暦《コヨミ》の事を言はれて、刀自はぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とした。ほんに、今日こそ、氷室《ヒムロ》の朔日《ツイタチ》ぢや。さう思ふ下から齒の根のあはぬやうな惡感を覺えた。大昔から、暦は聖《ヒジリ》の與る道と考へて來た。其で、男女は唯、長老《トネ》の言ふがまゝに、時の來又去つた事を教《ヲソ》はつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聰《サト》い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻《マモ》りながら、はら/\して居る乳母であつた。唯、郎女は復《マタ》、秋分の日の近づいて來て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく/\と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長《タ》けて、莟の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女《メヤツコ》は、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が續いた。

        十七

彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧に凪いだ空に、晝過ぎて、白い雲が頻りにちぎれ/\に飛んだ。其が門渡《トワタ》る船と見えてゐる内に、暴風《アラシ》である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の樣に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色に輝いて居る。
大山颪。木の葉も、枝も、顏に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顏を寄せた。たゞ互の顏の見えるばかりの緊張した氣持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から眞正面《マトモ》に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して來た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空樣《ソラザマ》に枝を掻き上げられた樣になつて、悲鳴を續けた。谷から峰《ヲ》の上《ヘ》に生え上《ノボ》つて居る萱原は、一樣に上へ/\と糶《セ》り昇るやうに、葉裏を返して扱《コ》き上げられた。
家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきり[#「かつきり」に傍点]と、物の一つ/\を、鮮やかに見せて居た。
[#ここから1字下げ]
郎女樣が――。
[#ここで字下げ終わり]
誰かの聲である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづつた女たちは、誰一人聲を出す者も居なかつた。
身狹[#(ノ)]乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覺め難い夢から覺めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の兩《モロ》腕兩膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が來た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る樣な力が、湧き上つた。
[#ここから1字下げ]
誰《タ》ぞ、弓を――。鳴弦《ツルウチ》ぢや。
[#ここで字下げ終わり]
人を待つ間もなかつた。彼女自身、壁代《カベシロ》に寄せかけて置いた白木の檀弓《マユミ》をとり上げて居た。
[#ここから1字下げ]
それ皆の衆――。反閇《アシブミ》ぞ。もつと聲高《コワダカ》に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
[#ここで字下げ終わり]
若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの聲で、警※[#「馬+畢」、147−2]《ケイヒツ》を發し、反閇《ハンバイ》した。
[#ここから1字下げ]
あっし あっし。
あっし あっし あっし。
[#ここで字下げ終わり]
狹い廬の中を蹈んで※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた。脇目からは、遶道《ネウダウ》す
前へ 次へ
全40ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
釈 迢空 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング