た女などが、何でもないことで、とりわけ重寶がられた。袖の先につける鰭袖《ハタソデ》を美しく爲立てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれ[#「見てくれ」に傍点]を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顏見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺り染めや、擣《ウ》ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸《ヒ》で染めの爲の染料が、韓の技工人《テビト》の影響から、途方もなく變化した。紫と謂つても、茜と謂つても、皆、昔の樣な、染め漿《シホ》の處置《トリアツカヒ》はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになつて來た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて來たけれど、家の女部屋までは、官《カミ》の目も屆くはずはなかつた。
家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精勤してするやうな爲事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での爲事は、まだ見參《マヰリマミエ》をせずにゐた田舍暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ樣に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。
一《イツ》時たゝぬ中に、婢女《メヤツコ》ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十數人は、戻つて來た。皆手に手に、張り切つて發育した、蓮の莖を抱へて、廬の前に竝んだのには、常々くすり[#「くすり」に傍点]とも笑はぬ乳母《オモ》たちさへ、腹の皮をよつて切《セツ》ながつた。
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郎女《イラツメ》樣。御|覽《ラウ》じませ。
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竪帳《タツバリ》を手でのけて、姫に見せるだけが、やつとのことであつた。
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ほう――。
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何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ジヤウラフ》には、唯常と變つた皆の姿が、羨しく思はれた。
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この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めつさうなこと、仰せられます。
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めつさうな。きまつて、誇張した顏と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社會で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、身狹乳母《ムサノチオモ》に對する反感も、此ものまね[#「ものまね」に傍点]で幾分、いり合せがつく樣な氣がするのであらう。
其日からもう、若人たちの絲縒りは初まつた。夜は、閨の闇の中で寢る女たちには、稀に男の聲を聞くこともある、奈良の垣内《カキツ》住ひが、戀しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績《ウ》み貯める。
さうした絲の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其數日後であつた。
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乳母《オモ》よ。この絲は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣《イ》より弱く見えるがよ――。
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郎女は、久しぶりでにつこりした。勞を犒ふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。
刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。
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なる程、此は脆《サク》過ぎまする。
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女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。
全く些《スコ》しの惡意もまじへずに、言ひたいまゝの氣持ちから、
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田居とやらへおりたちたい――、
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を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
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もつと、きれぬ絲を作り出さねば、物はない。
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と言つた。女たちの中の一人が、
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それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
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昔を守ることばかりはいかつい[#「いかつい」に傍点]が、新しいことの考へは唯、尋常《ヨノツネ》の婆の如く、愚かしかつた。
ゆくりない聲が、郎女の口から洩れた。
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この身の考へることが、出來ることか試して見や。
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うま人を輕侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな輕《カル》しめに似た氣持ちが、皆の心に動いた。
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夏引きの麻生《ヲフ》の麻《アサ》を績《ウ》むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに―。
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郎女は、目に見えぬものゝさとし[#「さとし」に
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