すと、咽喉《いんこう》がどうなっているかということが露《あら》われた。陪審官のある者は好奇心にかられて、それをよく見定めようとして起《た》ちかかったのもあったが、彼らはたちまちに顔をそむけてしまった。証人のハーカーは窓をあけに行って、わずらわしげに悩みながら窓台に倚《よ》りかかっていた。死人の頸《くび》にハンカチーフを置いて、検屍官は部屋の隅へ行った。彼はそこに積んである着物のきれはしをいちいちに取り上げて検査すると、それはずたずたに引き裂かれて、乾いた血のために固くなっていた。陪審官はそれに興味を持たないらしく、近寄って綿密に検査しようともしなかった。彼らは先刻すでにそれを見ているからである。彼らにとって新しいのは、ハーカーの証言だけであった。
「皆さん」と、検屍官は言った。「わたくしの考えるところでは、最早《もはや》ほかに証拠はあるまいと思われます。あなたがたの職責はすでに証明した通りであるから、この上に質問するようなことがなければ、外へ出てこの評決をお考えください」
陪審長が起ちあがった。粗末な服を着た、六十ぐらいの、髯《ひげ》の生えた背丈《せい》の高い男であった。
「検屍官どのに一言おたずね申したいと思います」と、彼は言った。「その証人は近ごろどこの精神病院から抜け出して来たのですか」
「ハーカー君」と、検屍官は重《おも》おもしく、しかもおだやかに言った。「あなたは近ごろどこの精神病院を抜け出して来たのですか」
ハーカーは烈火のごとくになったが、しかしなんにも言わなかった。もちろん、本気で訊《き》くつもりでもないので、七人の陪審官はそのままに列をなして、小屋の外へ出て行ってしまった。検屍官とハーカーと、死人とがあとに残された。
「あなたは私を侮辱するのですか」と、ハーカーは言った。「私はもう勝手に帰ります」
「よろしい」
ハーカーは行こうとして、戸の掛け金に手をかけながら、また立ちどまった。彼が職業上の習慣は、自己の威厳を保つという心持ちよりも強かったのである。彼は振り返って言った。
「あなたが持っている書物は、モルガンの日記だと思います。あなたはそれに多大の興味を有していられるようで、わたしが証言を陳述している間にも読んでいられました。わたしにもちょっと見せていただけないでしょうか。おそらく世間の人びともそれを知りたいと思うでしょうから……」
「いや、この書物にはこの事件に関するなんの形をもとどめていません」と、検屍官はそれを上衣《うわぎ》のポケットに滑《すべ》り込ませた。「これにある記事はみんな本人の死ぬ前に書いたものです」
ハーカーが出て行ったあとへ、陪審官らは再びはいって来て、テーブルのまわりに立った。そのテーブルの上には、かの掩《おお》われたる死体が、敷布《シーツ》の下に行儀よく置かれてあった。陪審長は胸のポケットから鉛筆と紙きれを把《と》り出して、念入りに次の評決文を書くと、他の人びともみな念を入れて署名した。
――われわれ陪審官はこの死体はマウンテン・ライオン(豹の一種)の手に因《よ》って殺されたるものと認む。但《ただ》し、われわれのある者は、死者が癲癇《てんかん》あるいは痙攣のごとき疾病を有するものと思考し、一同も同感なり。
四
ヒュウ・モルガンが残した最後の日記は確かに興味ある記録で、おそらく科学的の暗示を与えるものであろう。その死体検案の場合に、日記は証拠物として提示されなかった。検屍官はたぶんそんなものを見せることは、陪審官の頭を混乱させるに過ぎないと考えたらしい。日記の第一項の日付けははっきりせず、その紙の上部は引き裂かれていたが、残った分には次のようなことが記《しる》されている。
――犬はいつでも中心の方へ頭をむけて、半円形に駈けまわる。そうして、ふたたび静かに立って激しく吠える。しまいには出来るだけ早く藪《やぶ》の方へ駈けてゆく。はじめはこの犬め、気が違ったのかと思ったが、家《うち》へ帰って来ると、おれの罰を恐れている以外に別に変わった様子も見せない。犬は鼻で見ることが出来るのだろうか。物の匂いが脳の中枢に感じて、その匂いを発散する物の形を想像することが出来るのだろうか。
九月二日――ゆうべ星を見ていると、その星がおれの家の東にあたる畔《あぜ》の境の上に出ている時、左から右へとつづいて消えていった。その消えたのはほんの一|刹那《せつな》で、また同時に消える数がわずかだったが、畔の全体の長さに沿うて一列二列の間はぼかされていた。おれと星との間を何物かが通ったのらしいと思ったが、おれの眼にはなんにも見えない。また、その物の輪郭を限ることの出来ないほどに、星のひかりも曇ってはいないのだ。ああ、こんなことは忌《いや》だ……。
(日記の紙が三枚|剥《は》ぎ取られている
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