ので、それから数週間の記事は失われている。)
九月二十七日――あいつが再びここへ出て来た。おれは毎日あいつが出現することの証拠を握っているのだ。おれは昨夜もおなじ上掩《うわおお》いを着て、鹿撃ち弾を二重|籠《ご》めにした鉄砲を持って、夜のあけるまで見張っていたのだが、朝になって見ると新しい足跡が前の通りに残っているではないか。しかし、おれは誓って眠らなかったのだ。確かにひと晩じゅう眠らないはずだ。
どうも怖ろしいことだ。どうにも防ぎようのないことだ。こんな奇怪な経験が本当ならば、おれは気違いになるだろう。万一それが空想ならば、おれはもう気違いになっているのだ。
十月三日――おれは立ち去らない。あいつにおれを追い出すことが出来るものか。そうだ、そうだ。ここはおれの家だ、ここはおれの土地だ。神さまは卑怯者をお憎みなさるはずだ。
十月五日――おれはもう我慢が出来ない。おれはハーカーをここへ呼んで、幾週間を一緒に過ごしてもらうことにした。ハーカーは気のおちついた男だ。あの男がおれを気違いだと思うかどうかだが、その様子をみていれば大抵判断ができるはずだ。
十月七日――おれは秘密を解決した。それはゆうべ判ったのだ――一種の示顕《じげん》を蒙ったように突然に判ったのだ。なんという単純なことだ――なんという怖ろしい単純だ!
世の中にはおれたちに聞こえない物音がある。音階の両端には、人間の耳という不完全な機械の鼓膜《こまく》には震動を感じられないような音符がある。その音はあまりに高いか、またはあまりに低いかであるのだ。おれは木の頂上に鶫《つぐみ》の群れがいっぱいに止まっているのを見ていると――一本の木ではない、たくさんの木に止まっているのだ――そうして、みな声を張りあげて歌っているのだ。すると、不意に――一瞬間に――まったく同じ一刹那に――その鳥の群れはみな空中へ舞いあがって飛び去ってしまった。それはなぜだろう。どの木も重なって邪魔になって、鳥にはおたがい同士が見えないはずだ。また、どこにもその指揮者――みんなから見えるような指揮者の棲んでいる場所がないのだ。してみれば、そこには何か普通のがちゃがちゃいう以上に、もっと高い、もっと鋭い、通知か指揮かの合図がなければならない。ただ、おれの耳にきこえないだけのことだ。
おれはまた、それと同じようにたくさんの鳥が一度に飛び去る例を知っている。鶫の仲間ばかりでなく、たとえば鶉《うずら》のような鳥が藪のなかに広く分かれている時、さらに遠い岡のむこう側にまで分かれている時、なんの物音もきこえないにもかかわらず、たちまち一度に飛び去ることがあるのだ。
船乗りたちはまた、こんなことを知っている。鯨《くじら》の群れが大洋の表面に浮かんだり沈んだりしている時、そのあいだに凸形の陸地を有して数マイルを隔てているにもかかわらず、ある時には同じ刹那に泳ぎ出して、一瞬間にすべてその影を見失うことがある。信号が鳴らされた――マストの上にいる水夫やデッキにいるその仲間の耳にはあまりに低いが、それでも寺院の石がオルガンの低い音響にふるえるように、船のなかではその顫動《せんどう》を感じるのだ。
音響とおなじことで、物の色もやはりそうだ。化学者には太陽のひかりの各端に化学線《アクテニック・レイ》というものの存在を見いだすことが出来る。その線は種《しゅ》じゅの色をあらわすもので、光線の成分にしたがって完全な色を見せるのだそうだが、われわれにはそれを区別することが出来ない。人間の眼は耳とおなじように不完全な機械で、その眼のとどく程度はただわずかに染色性の一部に限られているのだ。おれは気が違っているのではない、そこには俺たちの眼にもみえない種じゅの色があるのだ。
そこで、たしかに※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]《うそ》でない、あの妖物はそんなたぐいの色であった!
底本:「世界怪談名作集 上」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
※底本は表題に、「妖物《ダムドシング》」とルビをふっています。
入力:もりみつじゅんじ
校正:門田裕志
2003年11月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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