句を自家藥籠中のものとすることが出來る。かくて思想感情をどうにか手つ取り早く言ひ表はし得るやうになる。即ち、間もなく英語の單なる傍觀者ではなく、自分のよく知つてゐる一部分が出來るわけである。これが一つの國語を學ぶ最も大切な一歩である。
英語の學習に於いて多讀本位の讀物の必要が叫ばれてゐるが、此の目的に對して Basic は他の所謂 Simplified texts とは異なり、本來國際補助語として考案せられたものであり、且つ通俗的な諸種の科學、商業其他の目的に使用すべきそれぞれ一定數の專門用語が用意されてゐるから、語彙が平易で、しかも内容的に相當進んだ多くの讀物を提供することが出來る。斯る讀物1が既に多く刊行されてゐる。故に Basic は精々物語等を記述するに役立つ語彙とは異るものである。これに就いて石黒魯平氏は早くから希望を述べて、「語彙。幾千とか幾萬とか言つて見ても、如何なる單位を數へるかを、眞に合理的に定めない限り、全然空虚の議論である。一般的題目の通俗的讀物などで、印刷した形の使用度數を器械的に統計したものは、結局無意味な語彙表である。之は Edward L. Thorndike の "The Teacher's Word Book" の如き、その道の代表的調査物を精査すると、實に思ひ半ばに過ぎないことを發見する。そこで多くの人が寄り合つて、主觀的に又或る客觀條件から、必要と思ふ語彙を選び、それを意味上の群類に纒め、而してその數を計算するがよい。その程度は、中學卒業生は辭書なしでわかるといふことにして、天下に示すことになつたら、始めて吾人は安心が出來る。」2と言つてゐる。
1 The Basic New Testament;[#「The Basic New Testament;」は斜体]Inez Holden: Death in High Society;[#「Death in High Society;」は斜体]J. Rantz: The Meno of Plato;[#「The Meno of Plato;」は斜体]Michael Faraday: The Chemical History of a Candle;[#「The Chemical History of a Candle;」は斜体]J.B.S. Haldane: Science and Well−Being;[#「Science and Well−Being;」は斜体]H.S. Hatfield: Inventions and their Uses in Science Today (Penguin);[#「Inventions and their Uses in Science Today (Penguin);」は斜体]H.S. Hatfield: European Science;[#「European Science;」は斜体] L.W. Lockhart: Basic for Economics;[#「Basic for Economics;」は斜体]I.A. Richards: Basic Rules of Reason;[#「Basic Rules of Reason;」は斜体]P.M. Rossiter: Basic for Geology;[#「Basic for Geology;」は斜体]S.L. Salzedo: Basic for Business;[#「Basic for Business;」は斜体]S.L. Salzedo: A Basic Astronomy;[#「A Basic Astronomy;」は斜体]J.W.N. Sullivan: Living Things;[#「Living Things;」は斜体]E. Evans and T.H. Robinson: The Bible: What it is and what is in it;[#「The Bible: What it is and what is in it;」は斜体]Raymond McGrath: Twentieth Century Houses[#「Twentieth Century Houses」は斜体]. 等々。
2 石黒魯平:「外語教授、原理と方法との研究」(昭和五年、開拓社)p.49.
(4) Basic ではその組織の一大特徴として、最も學習に困難で厄介な所謂動詞を排除して、その代りに「作用詞」として give, get; take, put; come, go; keep, let; make, say, see, send, do, have, be 及び seem の基本的動詞のみを使用し、これ等を單獨でも盛んに用ゐるが、又これ等と前置詞、副詞とを組合せて數千の動詞の働きをさせることは既に述べた通りであるが、この爲に Basic は極めて慣用的な英語になつてゐる。これに就いて筆者は曾て或る知名の先輩から親しく聞いた事で、非常に面白く思つたことがある。それはさる有名な經濟學者が滯英中英語に堪能なる或る日本紳士が英人と話してゐるのを側で聞いてゐたが、後に述懷して、あの人達は get, put, have, do や on, in, at などを盛んに使つてゐるが、實に流暢に話が進んで行く、と驚嘆して語つた、といふことである。故に英語の活用の眞の知識を養はんとするならば、どうしても如上のアングロ・サクソン語系の基本動詞の活用に習熟しておくことが極めて必要である。さうでないと難しいことは解るが、卑近のことは、通じないといふ矛盾が屡※[#二の字点、1−2−22]生ずることがある。故に英語學習の初期に於いてこれ等の基本動詞の用法を徹底的に教へ込むことが、英語研究の全體的見地からみて、結局は有效ではなからうか。教師として極めて卓越した才能をもつてゐた小泉八雲もその Out of the East[#「Out of the East」は斜体] の一篇「九州學生」の中で、日本の高等學校の生徒は、英語の單純な文體に慣れてゐない。小さい言葉よりも大きい言葉を擇び、平易な短い文章よりも長い複雜な文章を書く一般の傾向がある。恐らく之は譯讀に比較的難しい書物を使つてゐるせゐでもあらう。簡單な語句を用ゐる所謂英語の慣用的の言ひ表はし方は日本の學生には仲々困難のやうである。そして之は結局東西兩民族の心理的相違に基づくものである。自分は此の傾向を矯正せんが爲に先ず時々單文で、しかも一綴りの字で面白い物語などを書いて見せたり、又一方その題の性質上簡單に書かねばならぬやうな、例へば「學校へ初めて行つた日」といふ作文を書かせて可成り成功したことがあつた。といふ意味のことを言つてゐる。會話、作文の教授に於いて參考になることゝ思ふ。
Basic の進んだ段階に於いて250の熟語、又更に進んだ段階に於いて讀書用のもう250の熟語が規定せられてをり、これによつてスミス(L.P. Smith)も指摘してゐるやうに、多くの動詞の使用を節約し得るのであるが、これ等の熟語の習得は學習者にとつて困難ではなからうか、との懸念が Basic 組織をよく理解せざる人々によつて抱かれるやうである。そしてそれ等の人々は Basic の必要とする慣用句を覺える代りに寧ろ200なり300なりの新語を覺えた方が學習には樂であり、より效果的ではなからうか、と主張するのである。併し此の問題を諸方面よりよく考察して見ると、その主張は必ずしも正しいとは言はれない。即ち Basic の「作用詞」と「方向詞」の用法は、結局は英語の習得のあらゆる目的に必要なものであり、又後に與へられる稍※[#二の字点、1−2−22]進んだ用法も新語と同樣に少くとも如何なる英語を讀んだり、話したりするにも必要なものである。これと同時に「作用詞」や「方向詞」の基本的用法に就いての知識を一層確實に築き上げる上に役立つものである。然るに新語は一見して如何に簡單で容易なやうに思はれても、學習者にとつては、それに附隨する發音、綴字、不規則な語形の變化、用法等教師の普通に氣の付かないやうな癖を持つものである。しかも日常普通に用ゐられる語の場合に於いて殊にさうである。(例へば、動詞の bear の諸種の用法の如き)。然るに Basic は一貫した組織を成すものであるから、その學習の途中に於いて徒らに他の語を教へることは、却つてその組織を亂し、Basic 語彙の働きを邪魔することになる。又他の語をいくら殖しても、850語を十分に覺えてしまふ迄は、實用上の效果は期待出來ないであらう。
Basic の慣用句は總て既によく理解せられた「作用詞」、「方向詞」等の基本的な語毎の意味からの自然な發展といふ點に重きを置いたのであつて、これは意味の擴張の場合と同樣である。故に餘りイディオマチックなものは之を排除したのである。而して Basic を組織する勞力の大部分は此等の慣用句の明細な目録の作成に費されたのであつて、其の結果は The Basic Words[#「The Basic Words」は斜体] に收められてゐる。そして此等の慣用句を構成する各語は各々明らかな意味を持つてゐるのであるから、慣用句の表はす意味も從つて容易に理解せられることになる。即ち、その表現が具體的で生々としてゐて、ラテン系の語の二つ或はそれ以上の觀念を一語に壓縮してゐるものよりも一層感覺的に學習者の腦裡に印せられるといふ利便をさへ持つてゐるのである。一般に我々教師は、唯英語の此の點が彼の點よりも學習に困難である、と言ふことを口にするのが常であるが、ひるがへつて、難易の如何は教導の仕方、教材の取扱ひ方等に依ることが大きいことに氣付かねばならない。その構成分子の意味が明瞭に理解せられないうちに、慣用句や聯語(collocation)等を無暗に詰込むことは徒に記憶の負擔を増すのみで全く無駄なことである。
(5) Basic English はその本質に於いて a limited English であつて、a changed English ではないのであるから、Basic より進んで普通の英語に入る際に、それによつて妨げを受けたり、或は學び直しをしなければならないやうな點は別にないのは勿論、Basic によつて得た確實なる基礎的知識は普通の英語への極めてよき自然の踏臺となるのである。これに就いてオグデン氏はかう言つてゐる。「それ[#「「それ」は底本では「それ」]自體で完全な組織を成してゐる Basic の習得を終つた人々で、更にその知識を漸次に補足し度いと思ふならば、Basic より普通の英語へ進むに當つて必要な連鎖が用意されてゐる。即ち850語に次いで來るべき150語(合計1,000語になる)、更にこれに次ぐ350語、更にこれを殖して500語に、又更に1,000語に、或は(動詞用法の要點を含めて)2,000語に増加した語彙が、若干の專門語彙と共に、850語が選定されたと同樣な原理に基づいて總て選定されてゐる。而して Basic それ自體は此の場合常に學習の基礎となつて働くものである。茲に特に注意すべきことがある。それは、語表に載つてゐる850語の大部分は、國際補助語としての Basic の認めるもの以外の用法を持ち得ることは明かである。而して普通の英語の學習の或る時期に於いて、これ等 Basic の規定以外の用法が Basic 組織を擴張した場合に、その中に入ることは明かである。併し、初めのうちは、Basic の核心には手を觸れないで置かねばならない。即ち漸を追うて増加されて行く語彙が、Basic の規定以外の派生語や語尾變化を理解するに必要な類似語形を提供してしまふまでは、Basic 組織はそのまゝにして置くべきである。然らざれば、混亂を免れ難いのである。而して特に適當な時期に(即ち、1,500語の全部を習得してしまつた後)50語の特別な動詞を取り入れる
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