は all living things と言ふ。'life'「人生」は living でも言ひ表はし得る場合がある。例へば、Living is interesting. と言ふが如し。'husband'「夫」は一般的に言つて、married man に當る。併し、文の中に出て來る時は、他の言ひ方が一層都合のよいことがある。例へば、her first 'husband' は the man she was first married to と言ひ得る。併し、How is your 'husband' to−day? と尋ねる時は、Basicでは How is Mr. X to−day? と言ふのである。このやうに Basic を使用する時には、自分の言はんとすることの要點は何であるかといふことを先づ考へてみることが必要である。
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※[#ローマ数字5、1−13−25]. ベーシックと英語教育
(1) 外國語の學習に於いて、唯暗記力にのみ訴へ、機械的に覺えさせようとするのは徒に記憶力の負擔を重くして、學習者に屡※[#二の字点、1−2−22]嫌惡の情を起させるばかりでなく、外國語教授の持つ思考力鍛錬の特質を全く顧みざるものである。青少年の精神的能力にとつて甚だ宜しくないことである。然るに Basic はその本來の性質上意味を分析的に考へて行くのであるから、思考力の活用を要求することになる。此點 Basic は極めて動的である。英文和譯等に於いて少しも原文の意味、脈絡に留意することなく、唯所謂逐語譯を施して能事終れりとする傾向が多く見受けられる。又パラフレーズの場合も殆ど同樣である。パラフレーズによつて新しい表現を覺えさせる事も一つの目的であらうが、最も重要な目的は本文を了解させるにある。從つてパラフレーズの方が本文よりも難しくなつたら其の價値は半減したと言つてもよい。然るに Basic では語數に限りがあり、要素的な語彙のみを活用しなければならぬので、唯同じ水準の同意語で言ひ換へるといふ機械的の技術のみによる方法を許さない。どうしても内部に一段と掘下げて行つて、原文の意味を論理的に分析して、よく究明することが必要となる。故に文全體の意味を常に念頭に置くやうになる。それで普通の英語を Basic に言換へさせることによつて、生徒の實力をテストすることが出來るであらう。而して Basic はその言語組織が簡單であるから諸種の點に於いてその練習には便利である。リチャーヅ氏はそのケムブリッヂやハーヴァドの大學に於ける英語教授の經驗から特に此點を力説して、The New Republic[#「The New Republic」は斜体] の文章の一節を例にとつて、それに Basic 譯を添へて説明してゐる。その原文は
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I brief, the educational significance of modern social development is to emphasize the need for a liberated intelligence. This in turn requires, first, a reorganization of educational agencies so that theory may operate freely on the level of practice, and, secondly, a consideration of the question of whether and to what extent we are willing to accept the principle of a free intelligence as a basis for our social outlook or philosophy of life.
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といふのであるが、此に對する Basic 譯は、
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┌ i education on developments in society
To put it shortly, the effects of┤
└ii developments in society on education
make clearer (greater) the need for minds which are free (which have been made free).
These we will not get without, first, a new organization of the ways (instruments, workers) in education, by which theory may be put into use (may become a guide to our acts) without trouble (being stopped, waste). And second, it is necessary to give an answer to the question: Are we ready, and how far are we ready, to take the free operation of thought as the general rule controlling our outlook on society (as men in society) or our theory of what is right (our beliefs, our ideas, and acts).
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となつてゐる。そしてリチャーヅ氏は、原文には曖昧なところが多い。例へば、第二のセンテンスの始めのところで、a need for a liberated intelligence が二つのものを 'requires' してゐるか、それとも a liberated intelligence がそれ等のものを 'requires' してゐるか、何れか一方を言はんとしてゐるように思はれるが、自分は後者の意にとつた。而して 'requires' の意味を自由になつた時の intelligence の要求としてではなく、intelligence を自由ならしめんとする時に必要なるものを指してゐる意味に解した。原文はまだ幾つかの他の解釋を許す程混亂してゐる。自分は一つには斯る文章に對する Basic の持つ分解力(resolving power)を示さんが爲に此の例を選んだのである。Basic は何でも一つの意味を再現するよりは、寧ろ意味の可能なる解釋に對する選擇を我々に提供するものである。故に Basic を知ることは、英米人にとつても英文の意味を徹底的に解釋する上に有效なる一つの助けとなるものである、1と言つてゐる。
1 I.A. Richards : Basic in Teaching : East and West[#「Basic in Teaching : East and West」は斜体](1935. Psyche Min.), pp. 82−3.
又曾て數學を修めたことのある詩人で批評家のエムプソン(William Empson, 1906−)氏も、「Basic の單語やその甚だ直截な文法に自由になると、時々は變な癖があつても、人々に別に不愉快を感じさせないですむ。…… Basic 組織のうちで、オグデンが考へてゐるより難しいかもしれない部分、例へば『忘れる』と言ふ代りに、『私の心又は記憶からそれが出てしまう』と言ふ如きは中々よい心智の鍛錬になる。外國語の一つの癖としてではなく、隱喩を合理的に用ゐねばならぬからである。Basic は頗る合理的な道具である。自分は時々或る文を英語から Basic に變へて、それが無意味であるかどうかを決する事がある。」2と言つてゐる。
2 ウィリアム・エムプソン : 「文學を教へること」(「文藝」昭和九年二月)。
更にこれに關聯して思ひ出されるのは、寺田寅彦氏の主張した數學と語學との密接な相關關係である。即ち、「入學試驗の成績で數學の點數と語學の點數の間には大體に於いて相關が存する、(勿論例外もあるが)。此兩者に頭腦の働き方で本質的に共通なところがあるのではないか。言語は我々の話をする爲の道具であるが、また寧ろ考へる爲の道具である。數學では最初に若干の公理前提を置いて、あとは論理に從つて前提の中に含まれてゐるものを分析し、分析したものを組み立てゝゆくのであるが、我々の言語に依つて考を運んでゆく過程も可成これと似た所がある。實際問題として見た時にも、數學の學習と語學の學習とは方法の上で可成似通つた要訣があるやうである。語學を修得するには、まづ單語を覺え文法を覺えなければならない。しかし、唯それを一通り理解し暗記しただけでは自分で話す事も出來なければ、文章も書けない。永い修練によつてそれをすつかり體得した上で、始めて自分自身の考を運ぶ道具にすることが出來る。數學でも、唯教科書や講義のノートにある事柄を全部理解したゞけでは、中々自分の用には立たない。矢張り色々な符號の意味をすつかり徹底的に呑み込む事は勿論、又色々な公式を可成の程度まで暗記して、一度わがものにしてしまはなければ實際の計算は困難である。人間の思考の運びを數學の計算の運びのやうに間違なくし得るやうに出來るものかどうかは分りかねる。しかし、少くともそれに近づくやうに我々の言語といふか、或は寧ろ思考の方式を發育させる事は出來るかも知れない。」1といふのであるが、我々語學教育に携はる者の考ふべきことである。
1 寺田寅彦 : 「物質と言葉」(昭和八年、鐵塔書店)。
(2) Basic の語彙及び夫を適當に組合はせて得た熟語の數が最初から一定してゐて、學習の目標が一目で見られるやうに表示されてあるから、恰も旅行すべき土地の大體の地理を前以て知つてゐるやうに、學習者には勵みを與へ、又教授者には常に全體的見地より系統的に、且つ組織的に教授を行ふことを一層容易ならしめる。その語彙850の中600までが、名詞の形であることからでも分るやうに、Basic は名詞が重要なる役割を演ずるところの組織である。而して、名詞に重きを置く言語組織の一つの重要な利點は、繪に依る教授を大いに利用して、具體的なものより學習を始め得ることである2。同時に不急且つ不必要と思はれる所謂動詞を排除してあるから、記憶の負擔を大いに減ずることになる。元來英語は比較的簡單な言語ではあるが、最初に100個の強活用動詞を導入すれば、相當に學習が困難になる。此の100個に附隨して、少くとも200個の不規則な過去及び過去分詞形を覺えなければならなくなるから。然るに Basic の850語は英語に於ける總ての種類の語を含んでゐるから、最小限度の英語の基礎的知識を授けるに極めて便利である。
2 Otto Neurath : International Picture Language[#「International Picture Language」は斜体](1936. Psyche Min.)及び Basic by Isotype[#「Basic by Isotype」は斜体](1937. Psyche Min.)參照。(Isotype is an international picture language designed for education through the eye.)
(3) Basic に於ては、その讀物の中に同じ語、句が常に繰返し出て來るので、自然にその用法が腦裡に印せられて、徒に勞することなくして必要なる一定數の語、
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