従えば、ロシアにも古代には存在していた。もしくは、存在していたに違いないのだが、国運の衰退とか、ダッタンの入寇《にゅうこう》とか、反乱とか、コンスタンチノープル陥落以後の東方との交通途絶とかいう、もろもろの事件の結果、わが国においてはこの制度が忘れられて、長老というものの跡を断つに至ったのである。それが復活したのは前世紀の終わりごろで、偉大なる苦行者(一般にそう呼ばれている)の一人パイーシイ・ヴェリチコーフスキイと、その弟子たちの力によったもので、それからほとんど百年も後の今日に至っても、ごく少数の修道院にしか存在せず、それさえどうかすると、ロシアでは話にも聞かぬ新制度として、迫害をこうむることがあったのである。これがロシアにおいてことに隆盛を見たのは、あの有名なコゼリスクの僧庵、オプチーナ修道院であった。いつ、何びとによって、この制度が当地の郊外にある修道院で創《はじ》められたかは確言することができないけれど、ここの長老職はもう三代もつづき、ゾシマはその最後の長老である。しかもこの人が老衰と病気のためにほとんど死になんなんとしているにもかかわらず、誰をその後継者に推すべきかもわかって
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