した不断の努力が、多くの青年にとってはほとんど全く耐えられないのである。アリョーシャはただ、人と正反対の道を取っただけで、一時も早く功績を立てたいと思う熱望に変わりはなかった。真剣になって思索した結果、不死と神とは存在するという信念に心を打たれると同時に、きわめて自然にこう口走った。『不死のために生きたい。中途半端な妥協はとるまい』これと同じく、もしも彼が不死や神は存在しないと決めた場合には、彼はたちまち無神論者や社会主義者の中へはいって行ったに違いない(なぜかといえば、社会主義は単なる労働問題、またはいわゆる第四階級の問題であるばかりでなく、主として無神論の問題である。無神論に現代的な肉付けを施した問題である。地上から天に達するためではなく、天を地上へ引きおろすために、神なくして建てられつつあるバビロンの塔であるから)。アリョーシャにはこれまでどおりの生活をするのが、奇怪で不可能なことにすら思われた。聖書にも、『もし完《まっ》たからんと欲せば、すべての財宝を頒《わか》ちてわれの後より来たれ』と言ってある。で、アリョーシャは心につぶやいた。『自分は「すべて」の代わりに、弥撒《ミサ》へだ
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