ゅうこのことを考えるんだよ。いや。しょっちゅうじゃない、むろん、ときどきの話だ。だが、わしが死んだとき、鬼どもがわしを鉤《かぎ》に引っ掛けて、地獄へ引きずりこむのを、ちょっと忘れさせるっていうわけにはいかんものだろうかなあ? わしの気になるのは、この鉤なんだよ。いったいやつらは、どこからそんなものを手にいれるんだろう? 何でこしらえてあるんかしら? 鉄だろうかな? そんなら、どこでそんなものを鍛《う》つんだろう? 何か工場のようなものでも地獄にあるのかな? でも修道院では坊主どもはきっと、地獄に天井があるものと考えてるんだろう。ところが、わしは地獄というものを信じるのはいいけれど、まだねがわくば天井のないやつがいいな。そうすれば、地獄も少しは気のきいた、文化的な、つまりルーテル式なものになってくるからな。全く、天井があろうとなかろうと、同じことじゃないかよ。ところが、このいまいましい問題は、その中にあるんだ! それで、もし天井がないとすれば、鉤もないことになるだろう。ところで、鉤がないとすれば、すっかり見込み違いで、またわからなくなる。つまり、誰もわしを鉤にかけて引きずりこむ者はいない
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