ろう。フョードル・パーヴロヴィッチは自分の第二の妻をどこに葬ったか、わが子に教えることができなかった。棺へ土をかぶせてこのかた、一度も墓参りをしたことがないので、長い年月がたつうちに、そのときどこへ葬ったのか、全く忘れ果ててしまったからである……。
ついでながらフョードル・パーヴロヴィッチのことを少しばかり話しておこう。彼はそれまで長いあいだこの町に住んでいなかった。二度目の妻が亡くなってのち三、四年たって、南ロシアへ赴《おもむ》き、ついにオデッサまで行って、そこに何年か引き続いて暮らしたのであった。最初のうちは、彼自身の言いぐさによると、『多くの卑しい老若男女のユダヤ人』とつきあっていたが、やがてはユダヤ人ばかりでなく、『上流のユダヤ人の家へも出入りする』ようになった。彼が金もうけに特別の腕を磨きあげたのは、この時代のことと考えなければならぬ。彼が再びこの町へ帰って、すっかり落ち着くことになったのは、アリョーシャの帰郷よりわずか三年前のことであった。町の古馴染《ふるなじみ》は、彼がまだけっしてそんな老人ではないのに、ひどく老けたように思った。彼の物ごしは上品になったというよりも、な
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