のもとへ帰るつもりだと申し出た。婦人たちはひとかたならず彼を惜しんで、放そうとはしなかった。旅費はあまりたいした額でもなかったので、彼は恩人の遺族から、外国出発のおりに贈られた時計を質に入れようとしたが、二人の婦人はそれをも止めて、十分に旅費をつくってくれ、新しい着物や肌着類までも調えてくれた。しかし、彼はぜひ三等車に乗りたいからと言って、その金も半分は返してしまった。この町へ着いた時、『なんだって学校を卒業もしないで来たんだ?』という父親の最初の質問に対して、彼は何も答えなかった。そしていつものように物思いに沈んでいたという噂である。その後まもなく、彼が母の墓を捜していることがわかった。それが帰郷の唯一の目的であると、帰って来たとき自分でも打ち明けかかっていた。しかし、それだけで帰郷の理由の全部が尽きていたかどうかは疑わしい。不意に彼の心のうちにわきあがって、どこかよくわからないが、しかも避けがたい新しい道へ、いやおうなしにぐんぐんと彼を引っぱっていったのは、はたして何であったか、それはそのころ、彼自身にさえもわからず、なんら説明のしようがなかったのだと解釈するのが最も妥当なことであ
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