しき淫蕩《いんとう》の巣窟たる父親の家に身を寄せてからも、童貞純潔な彼は、見るに忍びないときに、黙々としてその場をはずすばかりで相手が誰であろうとも、いささかの軽蔑をも非難をも見せなかった。かつてよその居候であったところから、侮辱に対しては敏感で繊細な神経を持っていた父親は、最初は、腑《ふ》に落ちないような、気むずかしい態度で、『黙り者の腹はさまざま』といった風で彼を迎えたが、結局は、まだ二週間ともたたないうちに、絶えず彼を抱きしめて、接吻するようになった。もっとも、それは泣き上戸の感傷の涙まじりにではあったが、しかも彼のような人間には、ほかの何びとにも感ずることのないような、深い真実な愛情がありありと見えていた……。
 それに、この青年はどこへ行っても人に好かれた。それはまだ幼い子供のときからそうであった。自分の恩人で養育者たるエフィム・ペトローヴィッチ・ポレーノフの家へ引き取られると、彼はこの家のあらゆる人たちをすっかり引きつけてしまって、全く本当の子供と同様に見なされたものであった。それにしても、彼がこの家庭へはいったのは、まだきわめて幼少のころで、こんな子供に打算的な悪知恵や、
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