、それは闇の中に浮かび出た明るい点のように――また、それ以上は跡形もなく消え失せた大きな絵から切り抜かれた小さい断片のように、一生を通じて心のなかに浮かんでくるものである。アリョーシャの場合も全くそのとおりであった。彼はある夏の静かな夕暮を覚えていた。窓があいていた、夕日が斜めにさしこんでいた(この斜めにさしこむ光を彼は最もよく覚えていた)、部屋の片隅には聖像があり、その前には燈明がともされていた。聖像の前に母がひざまずいて、ヒステリイのようにすすり泣きしながら不意に金切声をあげてわめきだすと共に、彼を両の手で痛いほど固く抱きしめて、わが子の身の上を聖母マリヤに祈り、また聖母の被衣《かつぎ》の陰に隠そうとでもするかのように、彼を両手に抱き上げて聖像の方へ差し伸べたりしていた……すると、不意に乳母が駆けこんで来て、おびえながら彼を母の手からもぎ取ってしまった、これがそのときの光景であった! アリョーシャはその刹那の母の顔まで覚えていた。その顔は、彼が記憶している限りでは、取り乱してはいたが、美しいものであった。しかし、彼はこの記憶を人に打ち明けることをあまり好まなかった。幼年期にも、少年
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