は、この青年アリョーシャが、決して狂信者でもなければ、また、少なくとも自分の考えでは、けっして神秘主義者でさえなかったことである。前もって遠慮のない意見を述べるならば、彼はわずかに若き博愛家にすぎず、修道院の生活にはいったのも、ただその生活が彼の心をうち、いわば世界悪の闇から愛の光明を願い求める彼の魂の究極の理想として、そのころの彼の心に映じたからである。またこの修道院の生活が彼の驚異の念を呼びさましたのも、その中に、そのころ、彼の目してなみなみならぬ人物とする、有名な長老ゾシマを、発見したからであった。彼はやむにやまれぬ心の初恋のような熱情を捧げつくして、この長老に傾倒した。もっとも、彼はすでに揺籃《ようらん》時代から非常に変わった人間であったことは争われない事実である。ついでながら、彼がわずか四つで母に別れながら、その後一生を通じて、母の面影やその慈愛を、『あたかも自分の眼の前に母親が生きて立っているかのように』まざまざと覚えていたことはすでに述べたとおりである。こうした思い出はずっとずっと幼い――二つくらいのころからさえ、よく記憶に残るもので(それは誰でも知っていることであるが)
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